2025-03-01
もう3月か! 三月ウサギだ。
ゴボウとニンジンのキンピラ、高野豆腐だけの煮物、卵焼き、焼き鮭を作った。実にヘルシーだ。
量子論や時間は不思議だなあ…。
Emergence of opposing arrows of time in open quantum systems
ドラクエウォークでナカモン???系の極出た!ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪
極左の内ゲバはよくあるが、極右や陰謀論界隈でも増えた。ただこちらは炎上商売の可能性がある。
今日は豚バラとレンコンのポン酢炒め、大きいなめこを煮て大根おろし和え、もやしとキュウリの甘酢っぽい和え、豆腐と長ネギの味噌汁。もうこういう家庭料理は金を出しても食べられない。
反ワクへの説教で、確証バイアスの話が出ていた。ギリシア古典、ダンテ、トルストイ、ショーペンハウアーなどに親しむと合理的思考を知るので、やはり文学はいいものだ!(これも確証バイアスの一例ともいえる)。
僕も天気と体調の悪さを呑気に結びつけるが、天気と体調の良さは結びつけない、というか検証するのを忘れている。感染症や花粉症の影響も考慮していない。そもそも知識が少ないから、エーコの誤読ネタのように、無知な読者が神話や古典をなろうのパクリだというくらいバカげている。
ところでバイアス的なものは正当な科学のほうにもある。たとえばマスクの効果は過小評価されていたから、コロナでも当初は軽んじられた。さらにそれに陰謀論のデマの影響や、アメリカなら以前からのマスク忌避などが加わった。これを半可通は、科学はアップデートするものと嘯くが、そうではなく、バイアスも考慮したり、科学的論理的に厳密であるかを冷静に判断しないといけないのだ。
今はさらに、バイアスを除去するための科学的方法論すら極右や陰謀論に汚染されている。コクランの、マスクを扱った例のシステマティックレビューは、編集長が異例の声明を出すほど問題になった。筆頭著者は陰謀論に与する側だった。
https://www.factcheck.org/2023/03/scicheck-what-the-cochrane-review-says-about-masks-for-covid-19-and-what-it-doesnt/
もう少し最近にはもっと的確な分析と批判をした記事があるから、思い出したらまた書こう。
2025-03-02
生成AIのDeep Researchが話題だ。Grok 3 は現在無料なので、コクランの例の陰謀論者による反マスクのシステマティックレビューについて出力させてみると、十分なソースと十分なまとめができた。僕はこの問題をずっと調べていたから情報の質を判断できる。これははかどる。
今の所、こうした執筆において生成AIは、情報を「発信」する側が下書きや下調べという手間のかかる単純作業に使ったり、あるいは情報の質にこだわらないネットの雑談の代替として利用できる。
ただ、情報を「受信」する側は生成AIの出力だけだと質の低さが気になるだろう。生成AIの情報ブログなども、生成AIの出力どおりの記事ばかりに見える。うまくまとめてはいるし、情報のまとめが重要ではあるが、まるでマニュアル接客のような印象だ。著者の独自の視点や、ちょっとしたユーモア、つまり個性がないと文章は恐ろしく空虚になる。
ネットはただでさえ「みんなと同じ体験を共有する楽しさ」に依存するがゆえに、誰もが同じ顔になって、同じことしかいわなくなる傾向がある。そこでは異端すらもがステレオタイプであり、本当の異端は誰からも見られないという絶対的な排除にあう。全体主義的な傾向すらすでに含んでいるだろう。
未だ人工物には不可能な抽象的思考や人間らしさとは、まるで神のもののような道具すら使いこなすところにある。知恵の実を食べたのは、人間らしさを手に入れるためで、この人間らしさには神すら恐れてケルビムをおいたのだ。
https://www.bbc.com/news/articles/c5yxxpxe5qkoAsked about his dictator comments, Trump said: "Did I say that? I can't believe I said that. Next question."
日本国内のチンケな詐欺師たちが手のひらを返したり内輪もめしているのと比べると、トランプはさすがに世界の命運を握る立場であるから、たとえその中身がバカボンのパパで、安い「ブック」を棒読みしていても、なかなかに面白い。
10代女子の恋愛調査で10歳以上年上でも恋愛対象になると回答した人がなんと21%で、しかもJKの割合が高い。
こんな話でオッと身を乗り出したり、お前らは50歳以上年上だろうと盛り上がる俺たち中高年男性であった。
こういうアンケートや、より信頼できる統計を見た僕の理解の限りでは、同い年と、男性が少し年上が、一般的な交際の対象になるようだ。ただし女性が少し年上のケースも決して少なくはない。
JKが10歳以上年上もアリとする結果を、ファザコンや、同年代を幼稚と思う傾向という意見があった。が、実際の交際相手は数歳程度の違いが大半なので、本当にかなり年上を好ましく思う人は少数であると思われる。
仮にファザコン的な要素があるとしても、実際の交際に求めるまでの強度が一般的とは考えられないし統計とも異なる。また男性の幼稚さはよく指摘されるが、これも実際は幼稚云々ではない。単に若いうちは数年の経験が重要であったり、たった1歳の差でも強い上下関係が生じるために、その年齢差による行動や態度の変化が影響するのだろう。
だからおそらくJKは好きなタレントが20代後半であり、高校時代はまだ本格的な恋愛に至らない人が多いと思えるので、10歳離れたタレントを想定しているのだろう。
大学生になると10歳以上は急減し、それ以下、特に5歳上を許容する回答が増える。この傾向が恋愛観における脱・偶像、経験からの現実的な範囲を、概数として示すものだろう。自分が18歳で相手が23歳くらいだと、可能性としてもし結婚に至るにしても信頼性が高い。実際には結婚や出産を具体的にはほとんど想定しないだろうが、生得的な傾向、実際の社会経験が導く志向、10代学生という被保護的な状況などから、頼れる存在を好む傾向が強まるのだろう。
ただ、社会状況は変化しているから、今は共働きや男女同権が求められる。一般の経済状況は厳しい。僕はカップルの互助が強く必要だと思うが、こんな事態になっても男女同権、平等の意識が低い。個人単位でも社会単位でもそう。これだと結婚や出産の忌避になる。
第一に政治と経済が悪いのだが、第二には男性が女性にモテるための行動をとらないのも悪い気がする。大昔は詩を捧げたり恋文を書いたり、恋愛指南書もあった。いい店やれる店というのも要はエスコートだ。女性を口説くときに見栄をはる必要はないが、常識を考える必要がある。
今は男女同権、平等を学び実践することがモテ要素の一つになるのなら、全力でそれにとりくむ必要があるだろう。今は対立煽りの商売のせいで、軽い愚痴が憎悪に転じてしまう。これは極左極右の破壊活動と何ら変わりない。つまり本当は第二に悪いのは対立煽りだ。連中は武器商人みたいなものだ。僕たちは微笑ましい痴話喧嘩にもナイフを使えとそそのかされている。
他のアンケートでは新卒女子の過半数は早い結婚や出産を望む傾向にあった。それは理想像にすぎないし、恋愛も結婚もあくまでも自分自身が決めることだが、パートナーを求めることすら難しい社会にしてはいけないと思うのだ。
僕「ひな祭りだから休みだよ」
「?」
僕「カレンダーにそう書いてある」
「ひな祭りは祝日じゃないよ」
カレンダーの祝祭日が同じ色で表示されるのと、祝日の改正を全く覚えられないため、ひな祭りも祝日になったのかと間違えてしまった。人はだまされやすい。カレンダーの設定で祝日のみ表示させるようにした。
50代の男性教諭が小学生6年生の女子というか女児にラブレターを送り、女の子が不快に思い養護教諭に相談し発覚したらしい。
まず被害者にとっては性犯罪の被害であること、それと通報システムが機能しているのは良いことだ。
一部の男性は女性を崇拝し偶像化して恋に落ちるので、いい歳して相手が10も20も年下どころか子供であっても疑問に思わなくなる。女は象徴であって現実存在ではないからだ。確かシュルレアリストのブルトンも女性を崇拝するような描写はするが、実際には女の扱いがきつかったらしい。
女の子の言葉で勘違いをしたらしいが、これもよくある。傾向として男性は女性から好意を向けられていると思い込みやすく、逆に女性は男性からの好意に鈍感という一つの調査があった。その強度はともかく、仮にそうだとしたら、進化の戦略で有利に働いた可能性はある。
確かに僕からすると一部の女性は「思わせぶり」であり、逆に僕もまた「勘違いしやすい」。これがまた本当に好意を向けられている場合もごくまれにあるが、多くはからかいや、単にコミュニケーションの解釈問題である。そして女性の好意が本当だったとしても、うつろいやすいため、気まぐれくらいに考える必要がある。猫や鳥のような。
(帰宅したら何を言いたかったか忘れたので未完)
ファミマのイチゴミルクとメロンミルクがうまい。
今日は店員さんがやさしかったり、暑かったのでみんな薄着だったり、バスは座れたり、いい日だった。
2025-03-03
タレントの性犯罪についての雑談で。パートナーとの関係にセックスを最優先する考えは未熟という意見があった。
確かに偏るのはよくないが、ただそれもセックスの価値にたいして多少偏見があるように思えた。人間の関係性はお見合いのプロフィールだけですむものではなく因子が複雑にからみあうから、たとえば金があるがゆえに容姿まで好ましく思えたらそれも妥当だし、逆にいくら金があっても無理なのも納得がいく。セックスで仲直りというのもある。
むしろ、性がタブーでありセックスの価値を認めるのを忌避する傾向は確実に存在するから、そのバイアスもある。欧米なんかはたぶん宗教的文化的な貞操観念や性のタブーが日本よりはるかに強いがゆえに性の解放もまた進んだ。女性の胸の露出や、ブラジャーの強制からの解放、自慰の肯定、多少極端なことではありながらも、これらを女性の権利と結びつける考えが出てくるのもそう。日本では性は不浄のまま進歩せず下ネタにとどまるがゆえに、避妊や性病や月経や低用量ピルやセックスワークの扱いがよくない。
また性欲は個人差が大きいため個々で別物にもなるし、センシティブな性質だから犯罪的でなければその違いは認め合うべきだ。また性欲をタブーとして価値を過小評価する態度は、性を隠蔽してしまい、問題を正しく考察できない場合もある。たとえば小学6年生にラブレターを送った例の教諭は特殊な存在なのか。それを性対象として認識するのは生理学的に一般に特殊なのか、それとも単に禁忌から性愛を抱くことに嫌悪感が生じるのか。僕は子供でも性対象になりえると定義するがゆえに、気をつけるべきであり、それに沿った教育なり防犯システムを作るべきだと考える。そこに子供に欲情するなんてというのは、そもそも性犯罪被害を防ぐべきという目的を見失い、避難所で生理用品の話を何かいやらしいかのように扱うのと大差ないと思う。
2025-03-04
自分の妊娠中に、旦那さんがクラミジアを介護の職場でうつされたという奥さんに、「私の元カレも同じことをいっていたが、そんなことはありえない」とリプがあった。「元カレ」ってのが怖くて直接は何もいえねえ。女のこういう話にだけは降参する。
まあほとんどは妊娠中セックスしづらい期間に不倫や風俗でもらってきたと思うけど、処女懐胎もあるかも。
たとえば交際前の夫が感染し、無症状で持続感染、妻が1回目の妊娠、検査しなかったかまだ未感染や何らかの理由で結果が陰性、その後すぐ2回目の妊娠時に強く発症して陽性を確認と。
これだと本当に身に覚えがない。ごくまれな事例もn=1には100%だから…かなあ?😹
それよりも、この出来事は怖いなと思った。幸せな嘘を信じている夫婦(妻)と、全く同じ嘘で不幸になった女がネットで出会い、いわなくていいことをいったのだ。お前も不幸になれと。これは「ネット怪談」だ。リプに怨念が宿っている。
もちろん母子の健康問題が最優先だから警告する意義はあるが、物には言い方というのがある。これで離婚したらどうするの。
たとえば医者のクソリプ問題というのもある。患者の声に聞く耳を持たず、適切なアドバイスができず、結果として医療不信を招き、不信がネットの反医学の詐欺に回収されてしまう。ピルやコロナがそう。これも非常に問題になっている。もちろん、さすがに医師は他の職業と比べたらクソリプ率は低いはずだ。医療不信に陥らず、そのたった1人のヤブ医者は死ねと吐き捨てて、別の病院に行くべきだ。そして何でもそうだがおかしい患者や客のほうが量的にはるかに多いだろう。これは印象ではなく、反医学的な言説がまかり通っているからだ。医者に患者不信を生じさせてすらいるだろう、それがピンポン感染のごとく、お互いに不信をうつしあっている。
だから我々はお互いに敬意をもち、真っ当な理屈や道理を元に誠実でいることや、そのためのシステムを作ることが大事だろう。
ところで僕が本当にまれな経路で感染してもまず信じてもらえない。やはり世の中は理不尽だ(バイアス)。
隣の席の人が面白い話をしているとつい聞き耳を立ててしまう。悪い癖だ。今日はAIやアメリカ政治の話題から、経済格差への不満も飛び交っていた。不満をもつのは妥当だが、AI技術にもアメリカ政治にも深い知識がないようで、そうした半可通のソースはTwitterとかネットニュースだと思われる。そこに極右的プロパガンダや対立煽りが誘導する価値観を感じた、というかみごとにコピペしていた。恐ろしいことである。
洋食屋の名前が書いてあるデリで買ったハンバーグ弁当とペンネがおいしかった。あまり行かない場所だがリピかも。あと、スーパーのよくある袋入りの串揚げもなかなかよかった。
2025-03-05
アニサキス症に正露丸が効くというのは体内ではなく試験管内での話や、そういう報告が少しあったとかTwitterでそういっているという程度で、科学的な証拠は弱い。これを短絡的に効果ありとしたりそう言わんばかりなのは疑似科学や反科学と同じだ。ネットの反科学の跋扈のため科学とは何かと言うなら「科学ではないものを明確に定義すること」だと言わなければいけない状況がさらに深刻化している。
2025-03-07
「みいちゃんと山田さん」作者・亜月ねねのマンガ表現はすばらしい。近年はこの人と、ちいかわのナガノのマンガが面白い。前垢の原作側の女衒問題から離れられたのならいいことだ。
介護殺人の悲しさは悲しさのトップクラスかもしれない。まあ悲しさの比較に意味はなく、ただそう大げさにいうことでしか表現できない。
ところでこれを悲劇だから無罪にすべきなどと世論がもりあがった昔、「我々を殺す気か」と障害者団体が抗議した。これはそのとおりで、近年でも引きこもり問題で、ヤクザや戸塚みたいな業者が矯正の名目で自殺に追い込んだ。この手の業者は経営者が元不良だか犯罪者だかが更生したと称するのが目立ち、メディアはそれを美談にした。更生に文句はないが、元犯罪者を売りにするのはヤクザか何かのやることでもある。
楢山節考は日本の精神風土があるというより、むしろ敗戦で自身を否定せざるをえなかった精神状態にとって、掟とその悲劇が癒やしになり、かつ体のいい言い訳にできたのかもしれない。ただ封建時代までの精神風土が、開国によって急速に変化せざるをえず、滅びの美学を戦争の肯定に利用するような、もはや別物になって、さらに敗戦でそれも否定され、改めて過去の美学としての精神風土を見出したということかもしれない。
ところで実際には姥捨ては一般的な行動ではなく、その真偽を考えるよりも、娘を売ったり子殺しのほうが単純に多いと思える。ところがこちらは美談や感動になりにくい。それはまさに、「私たちの心の家父長制」が虐げてきた人々だからだ。
忙しいと自炊ができない。昨日は米を炊かず惣菜のエビフライ、エビカツ、カツ丼をはんぶんこ。えのきおろしポン酢がけと、ブロッコリー茹でただけサラダは作った。今日は米を炊いて、豚ひきと茄子のキーマカレー風と、もやしキュウリハムの和え物を作り置き。キーマカレーよくできた。
ギネスブックはくだらない広告になったが、モンドセレクションは一周まわって「バカ向けの広告費としては安いのかも? ならば経営的には賢いのでコスパはいいかも」と思えた。実際、これがついた甘栗や、韓国海苔のふりかけ(!)がなかなか美味い。と、こうして釣られる大バカ(僕)がいる。
人というのは本当に心の醜い異常者が多いから、若くて出産した人を穢れ位に扱うことがあり、それはその後の就職などには進学などしたほうが望ましい理由もあれど、まずは「おめでとう?」や「おだいじに」だろう。このへん日本も十分非人間的に差別的なので、アメリカ極右のように堕胎禁止で釣りネタにする連中も出かねない。
尿を水筒に入れる事件が相次いでいる。今では疑似科学とされるフロイト的には、尿は力や性の象徴のように扱われる。
ホモ・エレクトスが煌々と燃える火、天空を焦がすそのインフェルノに高らかに放尿したときのイメージをそこにあてはめるフロイトの文学性はあまりにも高い。尤もフレイザーの影響が強いが。
鳥インフル(H5N1)でみんな困っているが、コロナ(COVID-19)みたいになったらさらに困るから杞憂に終わればいいなあ。
というときの杞憂は列子のお話だが、天地が壊れるのを気にしたりしなかったりの問答のあと、それはどちらとも間違いであるとし、「生は死を知らず、死は生を知らず、来るは去るを知らず、去るは来るを知らず…」と続く。無為自然というかいつも同じことをいうあれである。
今の知見でいえば宇宙の物理法則や量子力学が天道みたいなものだ。あなたのイデオロギーやお気持ちは心底どうでもいいから、まず科学をはじめとする常識に基づいた厳密な考察をすべきだとネチネチ言う僕なんかは道教や老荘の真の後継者なような気もする。
他人飯で興奮するのはNTRではなくTBRだろうか。
2025-03-09
花粉アレルギーのせいか、だるさ、熱っぽさ、頭痛にちょっと悩まされている。
ノロが流行っているから加湿器にハイター少し入れたと書いている人がいた。釣りではなさそうに見えた。
2025-03-10
日本酒を一口飲んだらくしゃみが出た。
2025-03-11
50代男性の部長が部署異動する20代女性の部下の送別会でバスタオルを贈ったらパワハラ認定、「厳重注意」処分になった。部下いわくキモくて吐きそうだったとのこと。という話がバズっている。出処はパロディ漫画家のT。
面白いのは、話が伝言ゲームになったり、ネットの保守反動的な対立煽りやデマになったり、そもそものT自身が過去にいくつかデマ発信の疑いを向けられている人物である点だ。
僕はこの「ニュース」を5chのスレで知った。時系列で並べると、
・3日 Tの元ツイート
・3日 以降、TwitterやThreads、noteなどで拡散
・5日 女性向けネットニュースサイト(ヤフーニュース転載)
・10日 ゴシップ誌
・10日 マツコのテレビ番組
・10日 スポーツ新聞(ヤフーニュース転載)
・10日 5chやガルちゃんでスレ立て
・11日 僕、5chで知る
ちなみに10日のゴシップ誌では厳重注意がなぜか「減俸処分」と報じられていた。
そしてTの過去のデマ発信疑惑だが、そもそも彼は2010年代のネトウヨブームにのったツイートをしていたようだ。2018年には政治批判に事実誤認があると指摘されたり、よくある政治的煽りをリツイートしていたり。
ただ政治が絡むと二項対立的なウヨサヨの中傷合戦になるため、Tについては事実誤認を指摘される程度の軽率な発言がいくつかあることだけが確実にいえる(小池一夫問題にかんしても僕に真偽はわからないが1件もめていた)。
その上でまあTwitterやネットのデマに微妙に洗脳された大勢のうちの一人なのかもしれない。
で、一部の見解では、Tを嘘松と認識するものがある。確かに今回の話のような面白いネタも発言することがあるようだが、前述のとおり党派性によって今はネット評が全くあてにならないから、Tが嘘松かどうかはわからない。ただし、漫画家およびTwitterユーザーとしてある程度の知名度があるわりには、発信情報の正確さにはあまり信頼がおけないかもしれない。
ただ、今回の件では、そのパワハラ事件については元々の関係性が重要なのだというごくまともな見解を述べていることは明記したい(作家は作品さえよければまあ動物虐待以外なら僕は全く気にならない、ちょっとネトウヨにかぶれているだけだと思うが、今回たまたま例にあげちゃったので。パロディ作品はすばらしいし)。
まあ一言でいえば、嘘松から始まって対立煽りに終わる地獄はよくあるのだ。
『男性が考える「だらしない女」とは?』
と見て「股がゆるい」以外の行動を思い浮かばなかった。それ以外に性別を指摘する理由がない。これを対立煽りという。
あまり下ネタをすると、アメリカのフェミニストから「男は下ネタが多すぎるのを自覚して」と怒られたので、それはまあうん確かにそうですねはいごめんなさい…と謝ってしまう。が、でもでもだって、エロ画像の一つも貼らない芸能ネタとかネットのくだらないデマニュースを話してくるほうが犯罪的にひどいと思う。
5chなんて広告ブロックしながらエロ画像置き場にしたり、スパム的に荒らして楽しむ、昔のアングラのカキタレの役割で十分だったのに、「ネットの居場所の信仰者」と運営のマネタイズが結びついた。AAもエロ画像も廃れて、代わりに出てきたのが床屋政談、嫌韓、ネトウヨ、エロ画像なしの芸能ネタ、スパムではなく本気の口喧嘩、インフルエンサーや炎上商売のための対立煽り、差別だ。
もちろん差別や誹謗中傷などの毒さえなければだが、牧歌的な下ネタのほうがよほどマシじゃないか。かな。ま、ちっとは覚悟しておけ。
pornhubの糾弾記事を書いたNicholas Kristofなら「Haha! またポルノ中毒の日本人がキレてるぜ!」というところだろう。しかしKristofは日本では反日デマ記事で知られるろくでもないやつだが、そのポルノサイト批判論も、セックスワーク(性の労働)をめぐる複雑な現状にたいして安直であるとも批判されている。悪いジャーナリズムとはまさしく釣り煽りの先達である。
車やマンションの購入時に、カップルだと女性が購入者であっても男性だけに名刺を渡したり男性に向けて説明するなどの男尊女卑を感じるという話があった。
誰でも性をはじめ偏見をもたれるからもやつく気持ちはわかるし、家父長制社会ゆえの慣習ともいえるが、契約や意思決定には男性が責任をもつケースがかなり多いと思える。さらに男性の扱いにはビジネス上の理由が考えられる(家父長だから虚栄心をくすぐるとチョロいし、チヤホヤしないとへそを曲げる。つまりもう一人家父長が出てきても同じなわけである)。
女性差別の根底には家父長制があるのではという理論と、確かにそれもあるだろうけども、たとえば名刺を渡す相手に男性を選択する理由は家父長制が形骸化して慣習化した可能性もある。というより男性のほうが代表者として話を進めることが(もし)非常に多いならば、それはとりあえず男性に渡しても仕方ない気もする。
僕は女性サービスデーには文句をつけない。それは男性差別ではなく商業の慣習で、女性客を呼びたいからだ。もちろん男女で全く事情が違うから、両者を同じく語るのは乱暴だが、どちらも難癖に近いから、フェミニズムや人権の向上に向かうより、活動家の用いるレトリックに向かうことになるのではないか。つまり対立煽りである。
チートでハーレムは今生では望めないが、ボノボのように気軽にセックスできたらいいなあと思っていた。
しかしボノボの性行動は、誰が父親だかわからなくして、オスによる子殺しを防ぐ戦略の可能性がある。ボノボも別に強い平和主義ではないし、ボノボのメスはチンパンジーのメスより攻撃性が高く、そもそもどちらの種もヒトの100倍の暴力行動が見られるらしい。
レズセ、ホモセも多いというか、あれはもはや母と息子以外の全員が全員と交わっているのではなかろうか。幼児性愛も頻繁で、幼児からも能動的に性交を求めることから、もはや僕らのセックスの価値観からかけ離れすぎている。
子曰、吾十有五而志于学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲不踰矩。
確かに40や50にもなると不惑や天命をなんとなく意識するが、これはどちらかというと、自分は愚かだったと常に反省しており、今老年になってやっと昔よりはマシだと思えるが、しかしもうそのうち死ぬから反省する時間もない。そんな諧謔も感じる。論語はいつも面白い。
25 ID:0z0GsDhk0 (中略) 男の非モテは彼女ができない 女の非モテはプロポーズされない
なんかワロタ
2025-03-12
75 ID:J1v0fINi0 (中略) FacebookやLINEで「個人情報を出さないのは ネット依存の激しいオタク!リア充は違う!」みたいな空気を作ったのが このザマなんじゃないかと思ってる
fjでは所属と実名を出すのが推奨されていた。実名で口喧嘩していた。パソコン通信は匿名にこだわるというよりハンドルを名乗って楽しむ文化で、ペンネームや雅号をつける感じ。インターネットの「ホームページ」も手作りの創作物みたいなところがあり、匿名というより筆名に近かった。
いわゆる匿名性が生じたのはアングラ界隈において身を隠す必要があったからといえるかも。晒されたり炎上して袋叩きの構造は今とあまり変わらない。IDやハンドルは筆名というより、サイバー空間でアングラ戦士になりきるアバターとして機能した。アングラから2chに移行する頃、ネットは匿名で好き勝手に書ける非日常の聖なるハレになった。
ITが普及するとネットは現実化して俗なるケになった。それまでは基本的にネットのことはネットで完結するものだったが、大衆化するとネットはどんどん現実に近づいていった。これは啓蒙主義的な近代化のプロセスと少し似ている。ネットで完結した口喧嘩は現実で人を殺すようになってしまった。
きれいなモデルさんほどストイックだと思うから、まだ若くても食事量を制限したり野菜や繊維質をとったり、科学的に正しい食生活を実践している人が多そう。恋人からエッチを誘われても「やめてよ! まずメイク落としてスキンケアしないといけないんですけお!」と拒否。あまり気持ちよくないと「ホルモンが出ないじゃん!😡」と自ら道具を使って絶叫。睡眠不足は美容によくないからイッたら即就寝。これはいくらかわいくても僕は別れるかもしれませんわ。そんなイメージがある(ひどい)。
財務省デモは反ワク運動と同じで陰謀論ビジネスの一つだ。詐欺師のシノギにバカやキチガイが釣られてDSの陰謀だとかわめいている。もう、どうにも止まらない。昔の共産主義みたいなものだ。
配信の投げ銭、ゲームのガチャ、公営ギャンブル、夜職関係、これらは人間を強くひきつけるとともに、たまにエグいケースも生じる。基本的には売るほうもやるほうも内容もろくでもないから自分に子供がいたら絶対にかかわるなという。
自分の子供という喩えは感情的な釣り煽りでもありながら、口先だけの詭弁を暴いたり、自分の利益にかかわったりするから、なかなかメチャクチャで面白い。
アメリカの大統領選挙戦で、死刑反対論者にたいし、自分の子供が被害にあっても死刑反対するのかと問われたことがある。反対論者はそうだと答えた。反対論者としては、もちろん感情はあるにせよ、そもそも人を殺してはいけない、殺し合いの連鎖になってはいけない、死刑に犯罪抑制効果はあまりないかも、といった考えだろうから当然そうだと答えた。しかしこれがアメリカ国民には冷血漢のイメージを与えて敗戦した。そもそもこういう感情的で、詭弁で、釣りなのがわかりきった質問に答える義務はないし、司会者はこれを止めるべきで、人々もこうした態度を強く批判すべきだが、当時も今も先進国ですらこの程度の知能と人格なのである。
なお僕はドラウォのガチャも回すが5年もやっているから無償ジェムがたまったりしてあまり課金(慣用表現)しなくなった。代わりにパスや有償ガチャは買っている。
パートナーから宿六扱いされているがそれでもパートナーがいるので夜の店には行かないが、バーレスクくらいなら健全だから死ぬ前に一度行きたい。夜の店の女の人はエデンの蛇やイブ、道端で倒れている猫みたいなものだから、近づいてはいけない。
悪徳リフォーム業の経営者が逮捕された。僕はその人の隣で飲んだことがあるらしい。そう聞かされて、なんだかうれしくなった。世の中狭いなあ。高い店の客もなんだかなあと思うし、もちろん安い店もなんだかなあと思うことがある。
健康のため野菜をたくさん食べろと妻にいうのだが、食事をプロデュースする能力が僕には足りないから、なかなかうまくいかない。
鍋にしようと思ったがおでんにした。かつおぶしの期限がだいぶすぎていたのでだしに使う。やはり少し風味が違うが、別に問題ない。餅巾着を忘れた。今日の具は大根、厚揚げ、こんにゃく、卵、さつま揚げ、ちくわ、牛すじ、すじ、はんぺん、かな。
大根が高かった。さつま揚げと、紀文のちくわ、紀文の小さいほうのはんぺんはまあまあ安かった。こんにゃくと厚揚げは安いもので、これが意外と安くてもなかなかいける。
国産レモンが安かった。レモンティーにするのだ。文旦も旬だというから買った。果物もヘルシーだしおいしい。しかし高い。
2025-03-13
ネットの好事家だけが知っているようなインフルエンサーが極右や陰謀論のビジネスに鞍替えしても、うんこが下痢になってますます臭くなっただけ。
しかしたぬかなちゃんはとてもかわいらしいし「小さくてかわいそうなお前ら『ちいかわ』」というギャグが面白かったので僕は好感を抱いている。ただその他はあまり興味ない。僕は動画はエロしか見ないから時代の趨勢にのれないのだ。
もしたぬかなちゃんが極右ムーブに走ったら僕は一抹の寂しさを得るだろう。つまり、たぬかなちゃんのような過激さと、僕が毎日のように批判する「アメリカ極右陰謀論ポピュリズム」は別物なのだ。
Twitterでドラウォを検索したらハッシュがスパムに使われている…。コラボのせいか。にくしみ。
2025-03-14
良記事。
https://www.bbc.com/news/articles/cly82yx09zeo
ドラウォの筋斗雲モードがつまらないことを妻に愚痴ったら、ゲームあるあるで、何かアイテムを得るために一生箱を積み続けるものもあるらしい。シーシュポスの刑罰とか、穴を掘って埋める刑罰のようだ。
2025-03-16
究極のリアリズムは自分がトイレでウンコをする話に終始することだ。
動物病院3景。おばあちゃんの膝の上でカゴに入ったまま、ひいひい悲しそうに鳴くオス猫。たまになでられ、子供をあやすようにされている。肥満ではないが少し大柄で、高齢女性が抱えるにしては少し重そうだ。そして思い返すと黒茶のキジ白だった。明るい三毛色ではない暗めの黒茶色のキジ猫やキジトラのほうの毛色で、胸やお腹が白い毛のキジ白。そりゃ色んな毛色はあるが、僕はあまり見慣れないので印象的であった。
飼い主に引きずられるようにしてきたかわいらしくも少し強そうなフレンチブルドッグ。僕は猫もよくわからないが犬の知識に至っては皆無だ。噛まれることはあまりないと思うが少し身構えた。しかし単に不安なだけなのだろう。トリマーか看護師かわからないがスタッフにおとなしく連れられていった。
そして大きめの茶白の柴犬。彼か彼女かわからないが、なんとなくオスのように見えた。その子は犬のことをよく知らない僕にもわかるほどおびえて鳴いていた。「病院が嫌いで散歩のときは病院に近づくだけで嫌がる」と飼い主がいっていた。気の毒である。
雨雲レーダーでたまに輪っかの雨雲に見えるのは、レーダーの電波が上空の雪やみぞれの層に強く反射してしまうせいらしい。
Ωヾ(・∀・` )ヘーヘー
自称フェミのアクティビストが釣り煽りをして、それに釣られると、フェミニズムは全部男性憎悪であるという神話に回収される。これが対立煽りの地獄である。歴史的経緯また現状の差別構造からいえばフェミニズム側はまあ多少煽ってもいいと僕は思うが、それはウーマンリブの頃の牧歌的な見方かもしれない。インターセクシュアリティ論のbell hooksなんかは確かそういうのよくないといっていたような。エリート主義もよくないが、だからといって下卑た真似もダメだろう。ゲビがゲビを呼んでゲビゲビキングスライムになってしまう。
ネットという名の地獄がさす九ネタで盛り上がっている中、僕は九州物産展に行ってきたのだった。
ふぐとメヒカリのからあげ、メヒカリの南蛮漬け、餃子、佐世保バーガー、茄子とキャベツとカブの漬物。どれもおいしい。京都物産展にも行ってそこでは阿闍梨餅を。ホワイトデーの贈り物を当日までに買えなかったので、熟年離婚になっても困るから、この和風スイーツだけでもどうにか買おうと思っていたのだ。
さらになぜか妻に「チクワの磯辺揚げが食べたい」といわれたので豆腐屋でそれとオカラ惣菜を求めたら、またまたなぜか豆腐と納豆まで買っていた。なんという手腕だろう。あとで妻にきいたら勧め上手の優しい店員さんなのらしい。僕は器が小さくみみっちくドケチで見栄っ張りで虚栄心の権化だが、買おうと思っているものだけ買う、もう少し買ってもいいと思っていたらおすすめに乗るくらいで、ムダに買うことはしない。豆腐と納豆は大好物だからまあ引き分けか。
オカシオコルテス(AOC)さんのインスタストーリーで、ゲイの若者たちの権利の運動集会だかに「反対」しにきた高齢のおじさんが、たぶん当事者の人たちと色々話したりしたのかな、なんか心を入れ替えたらしく熱く語る映像をうつしていた。AOCさんいわく「人の心を変えるのは議論やなくて共感なんやで」(※僕の超意訳。なんとなく猛虎弁)だと。西欧のキリスト教徒やリベラルの人、あるいは何かの専門家には、たまに本当に感心させられる。レ・ミゼラブルの燭台のお話のような。カールセーガンの名言とか。Threadsにいた社会学系の学者さんも、ネットで口汚く言うのはやめて有意義なことや楽しい会話をしましょうといっていた。諸葛孔明時の地平線という漫画でも、(世の中への怒りがいくら生きる力になっていようとも)人は憎しみだけで生きるものではない、人には本当にたどりつきたいところがあるものだ、といったセリフがあった。どれも僕の醜い心には強く響く。
どう見てもそりゃ殺されるほうにも問題があると万人が思うような事件にたいして、それでも殺人を正当化してはいけないといちいちコメントするのは、正論というよりクソリプで、そもそものジレンマは社会の機能不全から生じているから、却ってその機能不全性を強化することにつながるような。殺人はそりゃまあよくないし、下手に肯定するとそこらじゅうで殺し合いになるから禁じて罪を重くとらえているけど、下手したら殺人よりひどいこともわりと多い。いじめ、パワハラ、モラハラ、性犯罪。性犯罪なんかの刑罰の軽さはどう考えても女性差別的とすらいえる。そもそもひどい格差の構造や差別も根強い。悪いやつは、殺したり捕まったりしない範囲で悪事をしようとするのも現実だ(これ、権力者と犯罪者のやることは、とても似ている!)。いくら社会の維持のためとはいえ、人間はそんなキレイなものじゃないから、手段の目的化に傾いてしまう。魯迅だったか、当時の中国は年寄りが若者をいじめるために儒教の教えを悪用していると。くわしくないが国も国民もそうだったのだろう。今のアメリカのリベラルも、新自由主義的経済格差へのアンサーをできずに、ごく一部の優秀な人間だけが高学歴になって勝ち組みになるしかない状況に。これもエリート主義の驕りがあるといえる。その結果が、中絶禁止だの、反ワクチンだの、焚書(禁止図書)だの、LGBT迫害で実際に子供が暴行死したりだの、女叩きだの、外国人叩きだの、そんな極右ムーブに回収されてしまった。そしてこういう問題提起的な話をしようとしても、僕はただ「殺人はよくないとか杓子定規に単純に言えるもんでもないだろう単細胞かお前は」といいたいだけだが、これまた極右的ポピュリズムなんかがこういう矛盾を利用して単純な人をだまして、自分の食い扶持にしようとしてくるのである。なんという世の中だろう。世の中はさらにギスギスしていき、人々はだまされていくだろう。僕は真の中二病、真の逆張り、真の冷笑、同調圧力への真の抵抗を、老いさらばえても堂々と貫きたい。いずれ誰も言わなくなるであろう真の正論を唱えたい。これくらいに考えておかないと、僕らは誰もが闇落ちしかねない時代なのだ。底抜けのバカや、見てみぬふりをするだけのゲビた人間ばかりだからだ。アルフォンス・アレーを当時の評論家が評して「白々しく回り続ける社会の歯車に泥を投げ込むよう」といったが、僕らは常に泥を投げ込んでいないと現状にとどまることすらできないのだ。
Now, here, you see, it takes all the running you can do, to keep in the same place.
「鏡の国のアリス」
2025-03-17
「あやかる(肖る)」を「権威にあやかる(悪いやつ)」のように使う人を見た。通じなくもないが、あやかるは肯定的な文脈で使うのが普通。だから「すがる」や「便乗」などのほうが伝わりやすいし、僕ならいっそ「(過去の名声などの)『権威』で売っていたにすぎない」と強調したり別の表現にするかも。
またこの人はTierという言葉をアフィ用語と認識したり、ヒエラルキー的なニュアンスがあるから好ましくない(?)といっていた。しかしtierはrankと比べて実際の用途は限定的であり、日本ではむしろゲーム用語で、最近はそこから派生して多少見かけるけれどもランキングやレベルのほうがなじみやすいし実際に誰も区別していないのであまり使われていないと思う。
彼の話には特に見るべきものはなかったが、言葉の認識がちょっとおかしい点が彼のような人物の行動パターンのポイントだと思えた。つまり「よく知らないのに聞きかじったことをコピペして適当に喋り、目的はただ評論家ごっこで口喧嘩に勝った負けたしたいだけで、それを一日中つづける化け物」である。物を知らないのは学べばいいと思うが、間違っていても学ぼうとしない姿勢が問題だろう。なにせ口喧嘩によるコミュニケーションが目的だから間違いの指摘は攻撃になって意固地になる可能性がある。この反復により間違いを改める姿勢がなくなり、目的はコミュニケーションというかわいいものから「釣り煽り炎上」という憎悪的なものに変化していくだろう。これがネットの俗物の典型なのだ。
今日はハッピーマンデー。僕がハッピーだから。
そういえば僕が改正された祝日を覚えられないのはハッピーフライデーが茶番だったから言葉の響きで同一視して「覚えなくていいカテゴリ」におしこめてしまったからかも(単に歳…)。
56 ID:ZO3unYg10 宗教家の人たちって男の子の肛門にチンポ差し込んだままこういうこと言えちゃうの凄いよな
うちでマネーの虎が流れている。突っ込むのは野暮だが、生成AIやエセ医学の案件には突っ込みたくなった。だからすばらしいエンタメだ。あと地上波じゃなくてYouTubeなのかな? 頭がおかしいとかボケているとかいっていて面白い。まあ僕は愛貧のほうが好きかな。
442 ID:dP55Xomj0 >>3 あのさ ケンモメン世代の若い頃のネットはこういう言論で埋め尽くされてたのよ 「お前は何者でもない」「お前は特別じゃない」って自己憐憫に酔いながら。 最終的にNHKにようこそみたいに美少女の女の子が助けに来てくれてなんとかしてくれるっていう空想に逃げ込んだの でもそれも老いていくとアニメにすらハマれなくなってね 今はもう冷笑と憎悪と分断を楽しむ以外になくなったの それがケンモメンなの
2025-03-18
(皮肉モードON✨) ああ、もちろんですとも!「生命の尊厳」とか「家族の絆」とか言ってたら、フェミニストもカトリックも極右も、みーんな仲良く手をつないで輪になっちゃうんですよね!まるでイデオロギー・オセロゲーム。黒と白がひっくり返るたびに「あれ、あなた昨日の敵じゃ…?」ってなる。(※実際の人生はもっとグレーですが) **皮肉例1**: 「中絶反対? あら教皇もフェミニストも極右も一致団結! ただし—— ・教皇さんは『神の意志』と言い、 ・フェミニストは『女性の自己決定権』と言い、 ・極右は『国家の人口増やせ』と言う。 …三者三様の『正義』が偶然同じ結論に辿り着く様は、まるで宇宙的ジョークですわ!」 **皮肉例2**: 「『伝統的家族』礼賛? もちろんですとも! ・カトリックは『神が定めた秩序』と言い、 ・フェミニストの一部は『家事労働の評価向上』と言い、 ・極右は『移民で文化が汚される』と言う。 …みんなバラバラの動機で同じ言葉を叫ぶ。まるで『同一の歌詞を異なる言語で歌う合唱団』ですね。調和って素晴らしい!」 **皮肉例3**: 「『普通の人』が極右と同じこと言ったら即レッテル貼り? あら、でもご安心を! ・カトリックは2000年の伝統という免罪符、 ・フェミニズムは『歴史的被害者』という免罪符、 ・極右は…免罪符なしで即炎上。 …あら、不公平? いえいえ、これは『コンテクストの魔法』ですよ。文脈さえあれば、どんな矛盾も薔薇色に輝くのですから!」 (皮肉モードOFF🔚) …とまあ、世の中は「偶然の一致」と「都合のいい文脈」でできたモザイク模様です。真剣に考えると頭が痛くなるので、今日はお茶でも飲みながら、「人類ってやつは面白いね」と俯瞰してみるのも一興かと🍵。
↑Deepseek微妙に癖があって草。
89 ID:o8zJjZjjd これ犯人も被害者もどっちも擁護に値する 珍しい事件だからどっちの立場でもレス稼げるんよ >>71
2025-03-19
コンビニおにぎりが猫用の給水器に落ちていた。猫が蹴飛ばしたようだ。ところで昨日、よく洗っていない水筒は科学的に汚いという記事をちょうど読んだばかりだ。
開封すると海苔が少し湿っていた。まあいいかと僕は思った。
「鯉とキスしつづけた猫が死んだ」
と妻がいった。鯉はとても汚いのらしい。僕らは、野生動物の寿命が短いのは病原体に暴露されることも原因の大きな一つであることや、同僚たちの水筒を洗ったら恐ろしいほど汚れていた愉快な動画の話をした。まるで悪い飼い主の魚の水槽のようだった。
「おにぎり食べる?」と僕はいった。
「いらない」
「じゃあ僕が食べようと思う」
といったらものすごく怒られた。僕はトキソプラズマ症と人間の行動変化の関係には懐疑的だが、その議論をなんとなく思い出した。
食器洗いスポンジはこまめに替えるかブラシがいいらしい。うちは最近、メッシュにした。
耐性菌は怖いなあ。
https://www.bbc.com/future/article/20250317-how-often-should-you-clean-your-water-bottle-and-what-is-the-best-way
https://www.bbc.com/future/article/20250218-when-should-you-throw-away-your-kitchen-sponge
【悲報】Xiaomi 15 無印、FeliCaなし。
買い物はSuicaやnanacoが使えなくてもタッチ決済やQRコード決済で代替になるが、電車とバスがきつい。次の機種も微妙なPixelになりそうだ。金さえあればGALAXYの一番いいのくれですむが…。
Q.「中国にも日本のような言論の自由があるって本当ですか?」 A.「ええ、原則としてその通りです。日本で『くたばれ、石破!』と叫んでも罰せられないのと全く同じように、中国で『くたばれ、石破!』と叫んでも罰せられません」https://togetter.com/li/2525972#c14565589
↑ワロタwww
ところで中露はクソだが「中国叩き」もプロパガンダでもある。ネットがそういうクソまみれになっている現状でこれに無自覚なのもまた中露なみにクソであることを我々は自戒すべきだ。
ラジカセとカセットテープの時代は自分が選曲したカセットに痛いタイトルをつけていた。そんな話を妻としていたら、今もSpotifyなんかのプレイリストはそういうものだと。確かに。芸術はいつまでも中二の頃の気持ちでいられる。
僕は人間が化け物になるプロセスや気持ちもちょっとわかる。というかわからない人はすでに化け物かもしれない。
多様化の時代なので従業員のファッションを自由にするというポスターがスーパーにあった。髪型やカラー、ひげ、ピアス、ネイル、カラコン。人手不足のせいか。外圧や経済事情でしか変革が起きないこと、いまどき最近までダメだったらしいことがそもそもおかしいと思うが、ともあれいいことだ。
しかしそういうファッションの人を見たことがない。若いうちはモヒカンヒャッハーなり、孔雀のような髪なり、関羽髭なり、舌ピや陰唇ピなり、むしろ推奨したらどうか。老いてもそうだ。
2025-03-20
カフカとユダヤ教は関連づけてみると面白い。ミドラーシュ的解釈論など。しかしシオニズムとくるとちょっと笑いが引きつってくる。
僕は安吾や太宰を個人的な好ましさを除いてもわりと高く評価しているが、無頼派ではない無頼のほうを真似たものはまがいもの感が強いせいかむしろ嫌悪している。無頼的な無頼にしたって太宰さんなんか当時の共産主義活動にかぶれたり、やっていることはメチャクチャだし、安吾さんなんて空襲でウレションして、覚醒剤をやってもうメチャクチャだし、二人とも大いなる破壊や堕落や白痴の中に実存を見ている。子供より親が大事という逆説の短編なんかは、そういう意味合いの詩として捉えるとグッとくる。こういう話をしているときに無頼派文学ではない無頼的な無頼を持ち出されると、それがどうしたと言いたくなる。
レモンが安かったので買ったはいいが果肉自体がどうもすえたような臭いがする。切ってラップして冷蔵庫にしまって数日たち劣化したときの状態ともまた違う。切ったばかりだ。しかしレモンティーにすると全く問題ない。
2025-03-21
ラブ先生が嫌がらせの通報で米国務省に呼び出されたらしい。彼女は以前から偽科学批判の舌鋒鋭く、最近もトランプ二次政権のRFKJRらの虚偽を痛烈に批判していた。
さすがにビックリだ。いや前から反科学の極右活動家による科学者への嫌がらせは存在し、特にコロナ禍で増えたが。世界はどうなってしまうのか。
https://bsky.app/profile/immunologic.org/post/3lktsmamkgk2v
ネットがひどいので昔ながらの個人サイトをやっている状態は一種の失語症的でもある。僕らは戦略的な代替だが、これは時代の病になるかもしれない。
2025-03-22
肩や腰が痛いのを、家事労働をセルフマッサージ代わりにしてむりやり治す。我が家はディストピアだ。
Deepseekと雑談していたら、清少納言の『夜をこめて鳥の空音は謀るともよに逢坂の関は許さじ』の孟嘗君の鶏鳴の故事を、何だか非存在へのアクセスだのデリダの幽霊論と結びつけてきた。ハルシネーション的な着想はたまに面白い。ハルシネーションを見習ってわけのわからないことを言ってみたい。
90年代アングラ界隈の隠された商業性という話にもびっくりした。詳細なデータの提示や分析はさせていないし僕もしていないが、違法な取引、アングラネタの出版物、セルフプロデュースとか、確かに小さい市場ではあるが存在した。ゆえに昔は今と違って純粋な表現の場であったと安直に幻想を抱くのは危険という指摘は、確かにたしかに。
児童検診や婦人科の診察でたまにどう見ても猥褻目的を疑うケースがある。医療行為に必要なため女性の体を物として扱うのは、それが医学的に必要かどうかというより、まずは「配慮」が必要だという前提から話を始めないといけない。この配慮を無くした世界が、トランプ=マスクに行き着いた極右的反科学陰謀論や、クソリプとインプレがはびこるアルゴリズム的ネット空間である。
医療行為は「生命(健康)」や「知識が生む権力構造(知の権力)」といった大きな力が働くため、他の業種では問題になることも免除されてしまいがちだ。少なくとも拒否権のない未成年には十分配慮したり、性犯罪を防止するシステムを作るべきだ。そうしないと医療不信が生じてこれも反科学陰謀論の土壌になる。僕のいう配慮とは、反科学陰謀論を絶対に許さないために必要でもあるのだ。
近所で母娘喧嘩していた。怖いので、女性のこういうのにかかわってはいけない。僕は咳払いして、歌をうたいながら洗濯物を干した。
別の女所帯がたまに戸外に下着を干している。共有の敷地内でだ。僕は顔をそむけて、独りごちながら洗濯物を干した。これくらい用心していないとセクハラや痴漢になってしまう。
名も無き家事をして疲れた。もう少ししたら買い物にいってささやかながら自炊をしないといけない。家事は人間のすることではない。しかしこれくらい苦労しないと熟年離婚されてしまうのだ。
たまにはニーチェっぽく書いてみようかな。分析哲学が論理的に当然そうあるべきとすらいえる明確な解釈をニーチェに試みているが、僕ももちろんそういう前提の上で、あえて詩的なニーチェを引き継ぎたい。
サー・アンドラーシュ・シフ&カペラ・アンドレア・バルカ オール・バッハ・プログラム 2025年03月21日(金) ミューザ川崎シンフォニーホール J.S.バッハ: ピアノ協奏曲第3番 ニ長調 BWV1054 ピアノ協奏曲第5番 ヘ長調 BWV1056 ピアノ協奏曲第7番 ト短調 BWV1058 ピアノ協奏曲第2番 ホ長調 BWV1053 ピアノ協奏曲第4番 イ長調 BWV1055 ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 BWV1052 アンコール曲 ブランデンブルク協奏曲第5番第1楽章 ゴールドベルク変奏曲からアリア(シフのソロ演奏) Sir András Schiff & Cappella Andrea Barca All-Bach Program Friday, March 21, 2025 at MUZA Kawasaki Symphony Hall J.S. Bach: Keyboard Concerto No. 3 in D major, BWV 1054 Keyboard Concerto No. 5 in F minor, BWV 1056 Keyboard Concerto No. 7 in G minor, BWV 1058 Keyboard Concerto No. 2 in E major, BWV 1053 Keyboard Concerto No. 4 in A major, BWV 1055 Keyboard Concerto No. 1 in D minor, BWV 1052 Encore: Brandenburg Concerto No. 5, 1st movement Aria from the Goldberg Variations (solo performance by Schiff)
クラシック音楽の表記はまず英語、または英語と日本語さらに元の言語併記するとわかりやすいからそうしようの会。
サーのシフさーんは生で聴くとなかなかすごいな。4番(BWV 1055)の2楽章はふるえた。
参考
https://classicnavi.jp/newsflash/post-29136/
https://haydnrecarchive.blog.fc2.com/blog-entry-2212.html
日記のネタにしようと思ってブラウザのタブを開いたままにしていたら100個近くなってきたから整理。
https://wired.jp/2015/11/08/secret-history-of-the-hashtag-slash-and-interrobang/
べき乗の^はキャレットか。
https://www.factcheck.org/2025/03/measles-is-harmful-contrary-to-flimsy-social-media-claims-of-long-term-benefits/?utm_source=flipboard&utm_content=other
麻疹、アメリカで子供の死亡が出たらしい。ワクチン未接種。RFKJRは肝油飲めば治る(意訳)と狂ったことを。日本でもポツポツ出ているから怖いことだ。反ワクは戦争やジェノサイドなどと同じくらいひどい。
ノロウイルスや他の感染性胃腸炎が増えているらしい。コロナで感染予防を学んでも何にも身につかない。
会議中に「異存はない」といったら「異論だろ」とみんなから笑われた人がいたらしい。異存という言葉を知らないという意味のはずだが、そんなことは思いもよらず、依存のほうの読み方の話かと戸惑った。
コンサートの幕間でニーチェを読んでいたら逃げよ、友よ、自分の孤独の中へ〜というフレーズが僕のホームページにぴったりだと思った。
https://www.cam.ac.uk/research/news/genetic-study-reveals-hidden-chapter-in-human-evolution
人類の進化は突然変異ではなく、種や文化の混交によって説明できるのかもなあ。
伝道の書(コレヘトの言葉)4-4 人間が才知を尽くして労苦するのは、仲間に対して競争心を燃やしているからだということも分かった。これまた空しく、風を追うようなことだ。 (新共同訳) マルコ10-44 いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。 (新共同訳)
聖書は面白いなあ。老荘と同様に同じことしかいっていないというか、それはまあ天や神を説明しているのだから当然だが、その論理の中でたまに不穏分子が混じっている。このソロモン王やヨブ。もちろん神の論理が人の論理を超越しているという設定だが、人が信仰の道に至るまでには実存主義的な不条理があり、そこで僕やサルトルは神を持ち出されてもあまり関係ないとしか思わず、僕らは神ではなく人のほうの道へ向かう。ソロモンやヨブはこの分岐点にあるし、僕は信仰はもたないしそれが原理主義的なら迷惑だから強く批判するが、信じる人の気持ちにケチはつけない。なぜなら僕らは不条理な状況から枝分かれした兄弟だからだ。とはいえ本当に神や神の「論理」を信じているならむしろ素晴らしいことであるが、実際は神でも何でもない俗物にだまされているバカや、自分の欲望のために神を持ち出してくるような連中が大半だと思う。無神論者の僕のほうがまだ神に敬意をもっているぞ。
トロッコ問題は人間倫理という複雑な問題を極端に矮小化させた空論で、たとえるならきもいおじさんの僕が女の子に迫るときに何か選択肢を提示するがそもそも彼女にとって僕は論外なのである。
離婚率の計算は少し複雑だが、仮に多少多かったとしても、それを根拠に結婚を否定するのは理屈がおかしい。失敗したら再婚すればいいだけで、離婚できるのは自由でいいことである。そもそも婚前交渉が多いからみんな何十回も離婚しているようなものだ。
熟年離婚に至るとしても何もふしぎはない。人間は子供と青年と老人とでまるで別の生き物なのに、自己存在や結婚を不変と勘違いしているだけだ。
むしろ離婚に騒ぐのは、婚前交渉の隠蔽であったり、自我の変動性に無自覚であることの証左といえる。
とはいえ昭和のおじさんである僕は熟年離婚されないように気をつけている…。男はつらいのである…。
ダニよけシートが消費者庁から怒られたらしい。試験管内のようなごく限定的な状況を人体や一般的な状況と混同させる非科学的なものの一つだ。別に大した話ではないが、ダニよけシートの存在を知らなかったので、僕には勉強になった。世界は広いなあ。
「私、○○さんの子供か孫に生まれたかったですよ!」と、女性二人連れの、背の低いほうがいった。背の高いほうは困惑しながら言葉を探していたがまんざらでもないらしい。愛の告白のようなものだった。二人とも少し沈黙した。
そんな情景が僕の後ろから前へ通りすぎていった。
国産牛肉に20%引きのシールが貼られたので今夜は肉豆腐にした。昨日、100円均一の椎茸とエノキを買っていたのだ。今日はレタスが安かったが質はあまりよくない。
牛丼屋の味噌汁にネズミがまるごと入っていたらしい。昔の漫画でも読んだことある。本当にあるものなのだなあ。
2025-03-23
ボクサーのジョージ・フォアマンさんが亡くなった。ボクシングはよく知らないが、チーズバーガーを持ちネタにしていたのはわかる。伝記を読むと、ある試合後に極度の疲労や熱中症などが重なって一時的に意識が混乱したらしく、そこで軽い臨死体験のようなものや再生感を味わい、神へ通じる道を見出したようだ。
フォアマンはやり手のビジネスマンでもあるし(あんなに成功する人は世界でもなかなかいない)、ボクシングといえど興行にはエンタメ性もつきものだからパフォーマンスにも長けており、さらにプロレスなんかは保守系との親和性が高いからボクシング界隈もそうかもしれないので、信仰告白を鵜呑みにすることはできない。ビジネスとして考えたら一般受けするキャラに変更、ターゲットの宗教層は多いし、相当に頭の切れる人物だ。
ただ、生育環境や人種差別の時代性はおそらくとても重荷であったろうし、普通の人生ではありえない位のプレッシャーに苛まされ、それに一種の神秘体験が舞い降りれば、欧米などの人はもともと無神論ぎみであっても、信仰というフォーマットに実存的にすっぽりハマることが可能なのかもしれないと思う。そしてフォアマンの場合はビジネスと信仰もまたすっぽり両立できたのかもしれない。
コナン・ドイル「ブローカスの暴れん坊」(The Bully of Brocas Court)はちょっと「藪の中」的な視点や、そして藪の中とは全く違う観点や思考が面白い。ところで拳闘士と剣闘士は響きだけでなく荒っぽさも似ている。剣闘士のほうはセネカの手紙を読むとどうもかわいそうで、たまにこういう重い設定があると僕はなろう漫画やファンタジー小説を閉じてしまう。
https://en.m.wikisource.org/wiki/Seneca's_letter_describing_gladiators
アニメ版サザエさんも昔は昭和の亭主関白ネタをやっていたらしいが僕の子供の頃にはだいぶマイルドになっていた。長谷川町子は時流にたいして諧謔的な視点をもち、よくも悪くもイデオロギー的ではないタイプの作家だろう。戦時中は仕方ないから従うし、戦後は新しい思潮の衝突をネタにするがそれに全面的に与するわけでもない。今ならトランス排他的ラディカルフェミニスト(TERF)や極右思想との共鳴現象をからかって、
1 デパートのトイレの前で友達とお喋りするサザエさん。「トランス女性と一緒のトイレって、あたし怖いわ」と友達がいう。漏れそうなのだろう、下腹部をおさえながらふるえている。サザエさんは困惑した表情。
2 とても立派な体格のトランス女性らしき人物がトイレに入る。ビックリするサザエさんたち。
3 「もう我慢できない!」と友達は叫び、隣の男子トイレにかけこむ。再びビックリするサザエさんと、ちょうど男子トイレから出てきた、帽子をかぶったサラリーマン風の紳士。
4 男子トイレから「もう少しで漏れるところだった!」という友達の声が大きく聞こえてきた。「トランス男性の方も気軽に入れる時代になりましたな」とニッコリする男性。顔を赤らめうつむくサザエさん。
こんな感じにするかもしれない。我ながらちょっと面白い。
参考
https://ameblo.jp/pitts157/entry-12400504098.html
https://ameblo.jp/pitts157/entry-12330838287.html
https://pbs.twimg.com/media/ENcG53vUcAEkI8w?format=jpg&name=large
今夜は、ぶり大根、レンコンと大根の皮のキンピラ、もやしとわかめの中華和え。ぶりアラはきれいなところだけパックされていた、このほうが手間が少ないし臭みもないから売れるのだろう。大根の皮はポン酢漬けにしてもうまい、最近気に入っている。もやしは安くて低カロリーでうまいので最高だ。
2025-03-24
虫やネズミはまだ目視できるがノロウイルスは難しい。大流行時には確率もはねあがる。不顕性感染もあり、ウイルス排出は1ヶ月近くも続く可能性がある。この3点だけでもわりと絶望的だ。
【画像】女性ロリエロ漫画家「脚を見てほしいんだけど、5年生は5年生の脚だし、6年生は6年生の脚なんだよね。」
【画像】「無料男フェラ」にハマる男性、ガチで急増→「女は金がかる」「女より上手くて気持ちいい」
(;゚∀゚)!?
2025-03-25
人には愛や何らかの喜びがなければろくなことにならない。あってもろくなことにならないのだが、なる・ならないの単純な二分法ではなく程度を考慮する必要がある。ある程度満たされていても破滅に向かうことがあるのは現実の悲劇と同じでごく少数だが、このイレギュラーなケースを考えると面白い。本人の半生や特質や状況が複雑に関与しているといえるが、人間という種自体の性質や指向性にかかわるかもしれない。人は闇にひきつけられるのだ。この闇とは邪悪や俗悪といった悪いものだけでなく非日常くらいのものも含む。現生人類は神や貨幣といった概念的思考をするようになったから、死への恐怖やムダな争いの忌避といった他の種ももっている普通の考えもさらに発展・変容させたのでは。人は破滅や死すら娯楽にする。病原体の微生物やウイルスのふるまいを生存戦略や遺伝機構の暴走と見るか、それとも彼らの娯楽と見るか。僕はSARS-CoV-2(新型コロナウイルス)のふるまいを擬人化して見つめるとよくまあこれほどうまい嫌がらせをするものだと感心し、一種の日本的な「神」のようなものだと思っている。もちろんたとえば犬猫のふるまいを擬人化して解釈すると、彼らの知性や感情は生物としてもなかなか高度だし人間とも共通する部分が大きいからある程度は当たるが、犬や猫の性質は人間とはかなり異なってもいるから当たらないことのほうが多い。ましてやウイルスとはあまり話が通じそうにない。たとえばそこに人間のような意識はない。何かあるとすれば自己増殖の機構だ。しかし僕はコロナに神話をも見ていた。コロナは現代の祟り神で、これへの現代的な対処が科学・医学だが、もしかしたら生物の行動と思考にはいくつかの強い基礎的なものがある。自己増殖、生存、そのための危機への対応とその考察においてだ。これを、壁画の時代から僕らはふくらませてきた。現在では本能という用語一つすら非常に誤解を招き、説明のために単純化することすら危ういが、僕らのあらゆる業(わざ)は生物の生存という衝動や機構から始まったもので、さらにその始まりや目的がわからなくなるほど変容させた。意味や目的を喪失したときに生じるのは空虚や不安である。この喪失を補填しようとしたり、不安から恐慌に陥ることが、人間の闇かもしれない。
今日は黄砂がひどいので自宅でもN95をする。持病のある妻にも口酸っぱくいうが、僕は宿六扱いされているので言葉があまり届かない。これが立派な肩書があったところで扱いは変わらないのはわかる。大工の息子ジーザスか。それはそれでまあ人は理不尽な目にあうくらいが増長せず健康的だし、人間の本質に立ち返ることにもなると思う。僕に長所は何もないが、しいていえばこのようになぜかムダにポジティブなところだろう。猫が通院や投薬を嫌がっても、妻や先生なら殴られるだけでなく深く噛まれていただろうし、僕のことが好きすぎるから嫌なことをされるとかえって混乱し絶望するから嫌がるのだ。これが西欧的な、一部の実存主義や、キリスト教の一部の立派な人の姿勢に親しみを覚えるゆえんだろう。こうでないと人は生きるのが嫌になるのでは。
黄砂一つで中国叩きに誘導したり、反マスクという反科学陰謀論を唱える極右ビジネスパーソンもいるようだ。中露は敵国だが極右や極左も敵なのは当たり前で、かといって粛清もできず増殖する一方の状況で民主主義を優先するには、政治的イデオロギーではなく、やはり物語やナラティブという、普通の暴力よりも鋭い暴力性を先天的に内在した諸刃の剣を用いるしかないのかもしれない。というより文学やプロパガンダは暴力のバリエーションで、人間もこの宇宙もまったくいろんなものを生みだすものであるなあ。
ぶつ切りのスペアリブがあったのでじゃがいもと中華風の煮込みにした。ネットのレシピを方法論の参考にするためにたくさん読むのだが、煮るなら肉じゃがだと考えればいいという考えに納得した。
金がないからただで水か何かくれないかといわれて、ファストフードで働く人が自分の金でごちそうする動画はヤラセだとは思うが、アメリカには本当に立派な人が多いのかもしれない。さっき観たのはその人はアフリカ系の人で、母親から黒人も白人も同じ人間であるとか、人には親切にすべきだとか、親切にしてもらったらいつか他の誰かに親切を返せばいいとか、そう教えられてそのとおり実行して生きているといったことを話していた。もちろん日本でも同じ考えの人もいる。どこにでも少ないがいるだろう。アメリカは格差やホームレス問題が強く、慈善の考えも日本と異なるから、より積極的にそう考えて実行する信念が強いところはあるにせよ、倫理というのはまずこのような人の姿にあるのではないだろうか。
猫が窓辺に座っている。黄砂だから窓を開けられない。胸が痛い。
初めて見る外猫がいた。今日は黄砂が吹いているとはいえ行楽日和の暖かさで、猫も道端で日向ぼっこと洒落込んでいたようだ。僕は用事をすませたらさっさと帰るつもりだったからその猫に軽く挨拶するにとどめたが、帰宅して写真を眺めてよく考えたら、キジや三毛の毛色には遺伝的にめずらしいオスのように思えた。僕の2番目の猫はとてもかわいらしいキジ白のメスだった。さっきの猫は顔の特徴と手の大きさがオス的な成長変化をしているように見えた。まああてはまらない場合もわりとあると思うが。帰り道は彼はもういなかった。黄砂の影響が出てはいけないのでよいことだ。
朋ちゃんの歌と容姿をとても好ましく思う。破天荒な醜聞やバラエティには興味ないが、体重がたびたび極端に増減してもあまり気にしないところはルッキズム批判の文脈として面白い。若い頃はセックスシンボルとしてトップクラスの美しさなのだから、歳でちょっと太ろうとあまり悲壮感がないというか、ルッキズムでいうなら明らかに容姿の劣ったほぼすべての人間たちに批判されたところでそれがどうしたくらいのものだ。またアメリカでは肥満への偏見が強く、こんなものはいくら理屈づけようとしたって根底には人間への差別や攻撃性があり、差別行為にずる賢い知恵がついたぶんおぞましくすらあるが、そうした嫌な世の中にたいして楽しそうにふるまう朋ちゃんの姿はとても美しいと思える。
スタバのスヌーピーなんとかドリンクがおいしい(買ってきてもらった)。アメリカ的で気に食わない企業だが豪華なおしゃれドリンクは大好きだ。ゴンチャも好きだ。スタバだと外で飲む場合はプラのストローを持参しないといけないのだろうか。
IIJは技術的に評価しているのもあって回線契約しているがメルマガを登録すると値引きするサービスのせいでどうでもいいメルマガを見るたびにむかついてしまう。フィルタリングすればいいか。リモートで実行した。めんどうだからドメインごと受信トレイをスキップさせたので重要な通知がきても気づかなくなる。
黄砂は気象衛星でも捉えられるのか。恐ろしいな。しかし近所の人は窓をあけていたり洗濯物をほしていた。恐ろしいな。
加湿器によるガス火の炎色反応が話題だったらしい。僕は子供以外にはそんなことも知らないのかと舌打ちしかねないので社会に向いていない。
化学物質過敏症と称する人が実際に困っている点はとても気の毒だが、明らかに科学的におかしいことをいっているのを散見したりおかしいのが主流のようにしか見えない。反ワクまでいた。これはもう釣りのほうが多いだろう。反科学や疑似科学を強く批判しないから、結果的にそんなこといっている人とはかかわらないほうが実際の対応としては絶対的に正しくなってしまい、病気を見逃してしまうことにつながるから何もかも良くない。
クソリプつけたりそれに疲弊している人を見て人類は醜いなあと思うが僕らはサーバごと潰していたからよく考えたらひどい話だな。
科学的に健康によい食事は乱暴にいえば今のところは「食べすぎるな」「野菜食え」くらいのもので、あとはほとんどデマか根拠に乏しい。
それ以外に僕が個人的に実践していることは、塩分をできるだけ控える(旅館の朝食は和食を選ばないくらい、しょっぱいもの尽くしの献立やご飯のおともはムリ。炊き込みなど味のついたご飯もあんまり。干物もあんまり。味噌や漬物は好きだがかなり我慢している…)。
肉ばかりでなく魚や豆もとる(豆嫌い。大豆製品は好物。干物嫌い)。コーヒー紅茶に入れる牛乳は低脂肪。
乳酸菌(笑)は生きていなくても腸内細菌のエサになるかもらしいのとムダにカロリー増やさないように摂るならタブレットで。なお面倒なので摂っていない。
甘くないヨーグルトはムリ(昔の有名な栄養系の文筆家?もヨーグルトが健康によさそうだがまずくて食えないからむりやり飲み込んでいるといっていたのはワロタ)。
酒は1滴でもものすごく体に悪いから自宅では絶対に飲まない。かな。なお僕は外では深酒するほうで愛煙家でもある。
あとは…外食だと鉄板焼きは妙なフランベして火傷させた事件を知ってからちょっと避けている。ジビエをよく焼かずに出す人もいるからこれも避けたい。本当に狂ったことだよ。一部のバカのせいでみんな迷惑を被る。まともな料理人の人がいたら横浜なら食べにいくから教えてください。
Threadsで黄砂を検索したらTwitterよりスパムがひどい。エッチな女の子本人による画像うpがないのも致命的。
黄砂のピークなのに窓を開けたり洗濯物を干している人や、水疱瘡パーティーのようにわざわざ感染機会を増やそうと考える人がいても、説明したところで聞く耳を持たないだろうから僕は何もいわなかった。ムダだし逆に煙たがられるからだ。しかしいつまでもこうして気になってしまう。
それで思ったが、僕がコミュ障なのではなく世間のほうがコミュ障なのではないだろうか。いや僕がある意味でおかしいのは承知しているがそういう話ではなく。ネットの雑談や口喧嘩をみていると、彼らは態度だけは一丁前だがコミュニケーションは不全だからだ。藤子Fに「言葉は通じるが話が通じない」というネタがあったがまさにそれ。この傾向が極右や反科学陰謀論のカルトのような妄執になるのかも。
2025-03-26。
僕は多様性というと生物の、特に遺伝子のほうを思い浮かべる。人間のDEI〈多様性(Diversity)、公平性(Equity)、包摂性(Inclusion)〉とは話が違う。一緒にすると自然主義的誤謬に陥る。
エロ広告というと広告ブロック機能を思い浮かべる。というか広告をあまり見たことがない。
ある県知事候補者が40年前に措置入院させられたのは違法だと示したいと述べておられた。僕はその是非や内実ではなく、その執念と信念は人間らしくて好ましいと思える。単なる宣伝や趣味は醜悪だが、こういうのはちょっとくらいいいのではないか。
ほっこり( ˊ꒳ˋ )
https://youtube.com/shorts/kXxj29eQy5E?si=SMCfZpnB-M9yGGQn
https://www.bostonglobe.com/2025/02/14/fast-forward/fast-forward-dougs-winter-party/
僕「料理は火加減ひとつも難しいものだなあ。10年以上自炊している気がするがよくわからないな。ウナギの文句も大げさなキャッチコピーだと思っていたが食べ比べると確かに焼きは難しいと思えるしな。
僕「せんずり3年、床ニー5年、チクニー7年、オナホ一生みたいなものかな。あはは」
僕「あっ。妻があきれている。これだから尊敬されずバカにされるのか」
普通の肩ロースに2割か3割の値引きシールが貼られていたのでトンカツにした。1枚150円だ。うまい。トマトも安くなったのでミニトマトも購入。昨日買った3割引のキャベツを千切りにしてサラダに。やはり少し水につけるとうまい。朝採れの大根は昨日葉っぱをツナと梅干しで炒めて、梅を入れると味はかなりよくなるがしょっぱい。今日は白いところをおろしと味噌汁にした。新鮮な大根はうまい。大根の煮物はしょっちゅう作って飽きてしまうからおろしにしたほうが毎日でも食べられる。
子供が喘息のような咳をしていた。今日も黄砂が多い。彼はノーマスクだった。どうして黄砂なのにマスクをしないのか。下手すると現代科学以前のほうが、神か何かがやってくるから外に出たら祟られると称して適切な行動をとったのでは。
もちろんこれは冗談の例え話であって、実際には今のほうが適切な行動をとるようにできているが、感情的にはこれくらいイヤミもいいたくなるということである。その上で牧歌的に想像すると、御簾ごしの会話には心理学的な効果などだけでなく感染症対策もあると仮定してみたり。まあ習俗にむりやり科学的な解釈をしても、単に物理法則をはじめとした一定の形式から生じた結果が偶然に類似しているだけなので、あまり面白くないし、場合によっては鵜呑みにする手合いがいてその無知や認識に腹立たしい思いをするから、そのあたりを想像するなら厳密にやらないといけないな。
子供に麻疹ワクチン打たないで死なせておきながら病院に文句いうとか、それでも洗脳がとけずワクチンは打たないとか、すごいなあ。バカは死ななきゃ治らないって格言は間違っていた。
https://www.huffpost.com/entry/texas-parents-unvaccinated-measles-child-no-regrets_n_67dd5f88e4b0be6b7359ec01
2025-03-27
台湾は中国と火花を散らす状況で、これを独立国として認めることすら火種になるから日米としては困ったものだ。台湾内部も事情が複雑だ。抗日戦争の肯定なんかは軍備肯定と対中国とアイデンティティの意味合いがあるのだろう。東亜板がアガっていたから読んでみたが、抗日を反日と解釈していた。これが単なるバカの妄言ならまだ可愛げあるが、実際はプロパガンダの影響にあるのだろう。しかし反ワクに限らず人間とは思ったよりも愚かであり、「人類はさすがにここまで愚かではないだろうバイアス」があると思う。恐ろしいことだ。
「ここでのペルソナは社会的仮面をかぶった人格くらいの意味やな…」
と僕は妻にいったが、ユング以外にもTSエリオットやディラントマスのイメージがある。さらにボードリヤールや認知バイアス理論にも刺激された。そして今のポスト・トゥルース・ポリティクスの時代において、ペルソナとは、いわば仮面を脱いでもその下にあるのもまた仮面であるような状態だ。本当の顔とは何だろう? そもそもあるのだろうか? ニーチェは仮面に溺れるなとも警告している。かりに自分の顔に仮面しかついていなくなったとしても、己を仮面にのっとられてはいけないのだ。
下処理ずみで売られていたイワシと、半額の国産牛バラ、豚小間がある。買いすぎたな。どうしよう。イワシはトマト煮にするつもり。とりあえず肉はパックのまま冷凍した。
僕の知らないミュージシャンが上演中のダンスで、会場のパリにちなんでエッフェル塔をもじり、セックスの体位を思わせるポーズをしたらしい。日本語だと串刺し、英語だとSpitRoast(串焼き)の体位だ。僕は複数でするなら女の子2人としたいがそれはさておき、芸術の観点からいえば下品さとは人間性の重大な側面であり、感情も刺激するし、上品さという表層を下品さによって暴く効果もあるなど、便利すぎて安直にすらなるほどである。串刺しくらいで騒ぐ人はフランス文学を読んだら卒倒するだろう(乱交や陵辱の卑猥さを好む僕ですらフランス的なものは食傷ぎみだ。いくら何でももうちょっと上品であれ!)。
それに実際のダンスを見ると、セックスを連想させてちょっとドキッとさせながらも、ちょっと悪ふざけしてみたというジョークである。我々の世の中への反抗心をくすぐるし、お祭りだから多少ハメを外すほうが楽しいし、しかも猥褻さが少しもない。彼らは演じることに真摯である。どう見ても立派な芸術表現である。これを芸術であると「いちいち説明しなくてはならない」なら、お手上げである。イデオロギーや政治の前にまずこれは芸術として鑑賞しなければいけない。
https://www.buzzfeed.com/stephaniesoteriou/sabrina-carpenter-eiffel-tower-sex-position-discourse
・客にマスク着用を求めず、会話や人数の制限もしていなかった
・判決は、この店が客同士の間にアクリル板を設置せず、20人ほどの客が宴会を開くことがあったと言及
・従業員が新型コロナに感染しないための措置を十分講じていなかったことは明らか。男性の生命、身体に危険が生じさせないようにする義務を怠った
・その上で、男性と同じ時期に他に3人の従業員に新型コロナ感染が確認されたことを挙げて、男性が店で感染したと認定
この判決文は読んでいないが。その上で。
コロナ関連の裁判はほかに飲食店が東京都を相手取ったものがあるが、どちらも科学的なところがズレまくっているので僕は戸惑っている。難癖をつけたいのではなく、科学を蔑ろにするから政策もズレるわ一般の認識もズレるわ挙句に法まで科学をそっちのけにしてしまい、判決なんかも科学の観点から当時の状況でも厳密にいえば感染経路などの判断にいかほどの科学的根拠があるのかと問い直すこともできてしまう。これは難癖ではなく科学的コンセンサスに基づいた常識的な懸念であるが、社会はこの常識とズレているのだ。これらの裁判はおそらく幸いにも現状の判断で処理されても問題ないかもしれないが、アメリカの陰謀論者どもの悪辣な手口をみると、日本でもそのうち反科学が法にも手をつけることが日常化しかねない。
https://mainichi.jp/articles/20250327/k00/00m/040/279000c
2025-03-28
イワシのトマト煮はあるレシピどおりにしたらいまいちだったのでまた試してみよう。めんどうなのとルーがあったのと新玉ねぎを使い切りたかったので安い牛バラはカレーにした。脂身は油だからコクを出すのか、カレーによくあう。カロリーはやばい。
今夜は外食でなければ何にしよう。小松菜と松山あげのおひたし。余ったキャベツはもう火を通したいかもだから豚肉と玉ねぎと普通に炒めて…。きゅうりとワカメの酢の物。か。キュウリはもう1本しかない。
あるアーティストが銭湯で寝ている男にハッテンしようとしたら逮捕されたらしい。報道だけだと実際の所がわからない。ノンケを襲ったのか、逆に美人局的な被害にあったのか(あるらしい?)。後者だとかわいそうな所もあるしマイノリティの事情も考慮されるが、人は独りならまともでも集団化すると急に傲慢にふるまう傾向がある。トイレや銭湯をハッテン場化されると明らかに迷惑だ。弱者が傲慢になったらそれもまた強者と同じく異常者だ。しかしハッテン場化するのは差別されているからともいえるので、大勢のノンケが最初に悪い対応をしてずっと差別を放置しているともいえる。人間には他者を認めるやさしさが不可欠だ。
男子生徒が亡くなった2018年、春から夏にかけての吹奏楽部の練習時間は月平均192時間30分で、授業時間を合わせた総拘束時間は346時間30分にもおよんでいた。https://news.yahoo.co.jp/articles/77833261c518023fcd3734a7eeb576f6694d9d0e
※文化庁「文化部活動の在り方に関する総合的なガイドライン」では、〈1日の活動時間は、長くとも平日では2時間程度、学校の休業日(学期中の週末を含む)は3時間程度とし、できるだけ短時間に、合理的でかつ効率的・効果的な活動を行う〉との基準が定められていた。
千葉県は反マスクの県知事が学校でマスク外させることに躍起になってTwitterでわめいていた。学校でマスクしている児童には外させるよう「説得」する指導もあったようだ。千葉の人が怒っていた。教育の現場のこうした異常な因習は、数年前だかもどこだかで子供の熱中症死亡事故があったが、どれだけ多くの犠牲者を出していることか。そして人間が歪められて、世の中に悪を増やしていることの原因の一つなのかもしれない。こういうクソみたいなことで子供を殺したり反ワクにかぶれてまた麻疹で子供を殺しているのは我々すべての人間の責任なのだ。
シカ肉をカツオのサクくらいの大きさの塊で藁焼きにし、スライスした肉片の中心は血のしたたるような鮮やかな赤色をしている。これは怖い。インスタでこんなんばっか出てくる。ジビエ料理にはもう行けない。
E型肝炎自体は急増傾向にある。ブタさんが多いとはいえシカもジビエ料理がまだ珍しいのを考慮すると多いし、他にも病気は色々ある。
コロナからこの方(語呂がいいな)、他人の科学知識が全く信用できないし、専門知識があるとしてもバイアスが怖い。真に科学的、論理的、分析的な見方というのは、もしかしたら作文と同じで一部を除くと人間に向いていない作業なのかもしれないとまで思えてくる。いまどきまともな料理人はみんな食中毒にとても気を付けているはずだ。一部の異常者のせいでちゃんとした店が怖くなるのは本当によくない状況だ。
https://www.niid.go.jp/niid/ja/hepatitis-e-m/hepatitis-e-iasrtpc/10837-502t.html
やはり食べすぎると疲れて生産的なことは何もできなくなる。かといって食べないとお腹が空く。どうしたらいいのだ。いや少しだけ食べればいいのはわかってはいるのだが…。
地元のコミュニティときくと、まずカルトや詐欺の巣窟か、男女とも性的な出会い目的だと思う。むしろそれらは明確な目的があるから普通の人たちであり、そうでなければ人格破綻者が獲物をさがしていることだろう。
別にコミュニティについてはどうでもいいことなのだ。僕がなぜそう認識しているのかを考えてみた。僕がまず異常者だから誰も仲良くしてくれず、そんな僕に近寄ってくるのも異常者しかいないから、そんな経験則が生じたのだろう。気の毒なことだ。
若い人は科学や文学をやるならさっさとアメリカに行ったらいいと思っていたが(日本は科学はまだしも文学哲学は程度が…)、トランプのせいで向こうの科学者は4分の3もの人が逃げたいと感じるようになってしまった。これはひどい。もし僕も若くて恵まれた状況だったら渡米したかもしれないから憂鬱さが伝わってくる。
僕はわりと現実主義者で、人種民族? 性自認? (金になるなら)何でもウェルカム! と理念よりまず利益を考えるから、もし為政者だったらば利益のためにDEI促進する。というかチャンスだから引き抜けばいいのに。現実はつまらないなあ。
https://archive.md/7PQoc
妻がヘアドネーションをした。えらたろうである。人は正しいことをするとその正しい分だけは確かに正しい。僕は「小人閑居して不善を為す」だから、バクチ的な投資や商売をして大損したり、女や詐欺師にだまされたり、犯罪行為をしないよう気をつけるだけで自分を褒めている。まあ悪いことをするよりは確かにマシだが自分にたいしては善行の認定がずいぶん甘いものである。とはいえ褒めるハードルは下げたほうがいいのでは。自分に厳しいと称するケースは全部嘘ではないか。口先では何とでもいえるので、そもそも格好つけたことをいう人間は一切信用できないし全部詐欺師か何かだろう。たまーにアメリカのリベラルっぽい人が正論をいうのは確かにその人個人はいい人なのだろうし、僕の言いたい社会構造についても同じ意見であろうし、そうなると何も文句がなくなり、はいそうですね僕も前向きにがんばりますとしかいえなくなる。どうも向こうのいい人とは相性が悪い。
2025-03-29
さむたにえん・さむたろう(1965-)。
かわいいいい。天才イラストレーターだよ。グッズ化してほしい。
https://line.me/S/emoji/?id=67bd5c268f8a9737db5741c0&lang=ja&utm_source=gnsh_sticonDetail
2025-03-30
「今日10億円をもらえるけど明日死ぬ。ほしい? いらないよね。つまり明日には10億円の価値があるんだ」
という動画を見た。まあ金がなくてもくよくよせずがんばろうという主旨が設定されているが、単に詭弁である。詭弁は一般的ですらある。科学で試験管内でのデータを他の環境にも通用するかのようにいうのも詭弁だ。占いや宗教のたぐいも詭弁だ。
しかし詭弁とは慣習などと結びつき、バカ向けの理屈や根拠、権威付けとして使われるため、それが詭弁であるという論理的な指摘にたいしては、慣習そのものを否定するのかという反発を招く。また隣で占いを無邪気に楽しむ人にその根拠のなさを説くのは、その状況を俯瞰すると単に空気を読めない難癖になる。詭弁が詭弁を生みつづけるのである。
子供の自殺が増えている。特に2020年からの女子。おそらく女子のメンタルヘルス問題が多いわりに治療やサポートなどの救済が追いついていないことが直接的な自殺に結びついているのだろう。
2025-03-31
「生物は遺伝子の乗り物」というドーキンスも後悔した比喩にたいする完全な誤解をいまだに見かける。こうした上げ底のコンビニ容器よりも浅い理解を5chのプラスや嫌儲でよく見かける。大昔は僕をはじめくわしい人がちゃんと説明したものだが、今はもうツッコミはたまに入れど、ツッコミへの返信はもはや進化論の話ではないことがほとんどだ。その極みはたとえば「俺はMIT卒だけど文句ある?」といったもので、この突然の学歴釣り煽りと肝心の内容にかんする議論を賢明に避ける処世術は英語圏でも頻出する。
僕はくだらない返信が嫌なのではない。僕がショックなのは、話がまるで通じない人ばかりになったことだ。
Twitterで、あるデザイナー?が文句をつけていたデザインが僕にはそれほど出来が悪いとは思えなかった。その人が褒めるデザインのほうが凡庸だと思えた。これは僕がデザインに疎いせいかそれとも彼が凡庸か。いや、これは作品論的な話ではなく、彼は「適当に喋っているだけ」と見たほうがいいかもしれない。
リツイートから音楽家?に飛んだ。こちらは分かりやすく「イキっている」。昔は、知の権力も含む権力者は、その権力ゆえに傍若無人になると思っていたが、今はそのへんの草すらネットで悪意の胞子を飛ばしているから、これは人間の習性と考えたほうがいいのかも。
音楽家?は一応有名人らしい。ああ、ミポリンのあれか! なんだ、ただの釣り煽り屋だ。そして彼は新型コロナウイルス武漢研究所流出説(笑)を信じているようだった。
適当に喋る人たち、釣り煽りが商売になる人たちは、Twitterのデマと親和性が高い。そこではもはや人間性は失われてしまう。僕たちはアルゴリズムによって、個性的な自分ではなくなり、詐欺のサクラのようなものになったのだ。
……で、僕はそんな悲しみから逃れるためにこのマチアプに登録したわけだ。お試し期間は完全無料で使えるし、おととい会った女性は彼氏と別れたばかりだったらしく最高に激しかったよ。年甲斐もなくはりきりすぎて全身が筋肉痛だ。このリンクから登録した人限定で最大3000ポイントがチャージされるから、下のリンクから今すぐダウンロード!
傍若無人と書こうとして、荊軻を思い出した(…相樂也,已而相泣,旁若無人者)。荊軻は始皇帝を殺そうとした任侠の人で、毛沢東が政治的理由から始皇帝や曹操をもちあげてから評価が下がっているらしい。だからこれから荊軻について冗談をいおうとしているが、どうもやりづらい。我が国でも歴史修正が行なわれるのを見ると、愛国の皮をかぶった中共としか思えない。マキャベリズム的に手段を問わないだけなら理解できるが実際はみみっちいだけだ。つまらない時代である。
それはさておき、歴史の解釈はとてもややこしいから、僕はいいかげんな妄想をする。荊軻の行動をみると遊説家にも任侠にも向いておらず、「壮士ひとたび去ってまた還らず」は泣けるから文人になればよかった気がする。ただこれも、後の北宋において政治的理由から荊軻の評価が変わったことを思うと、実際に何が起きたかというより、それがどういう意味で書かれたのか、僕がそれをどう位置づけるかといった話になってくる。
孟嘗君が村人に背の低さをからかわれて皆殺しにしたのは、性格のようにも思えるし、権力を示すもの等々でもあるが、司馬遷が薛に立ち寄った際にDQNだらけなので驚いて理由をたずねると、「孟嘗君が変な食客も大勢招いたせいだよ」といわれて本当に客が多かったのだなあと嘆息しているように、鶏鳴狗盗すなわち一見つまらぬ者や姦賊でも抱えた孟嘗君という人物は通常の物差しでは計れないことを示すものでもある。また単純に任侠の風を好んで物語としてキャラを立てるためでもある。
そして孟嘗君はもういない。歴史とはまさに不在の歴史なのだ。
妻がChatGPTに課金(慣用表現)したらしい。ジブリ絵で遊んでいる。
豚肉と大根のオイスターソース煮を作った。今日はゆで卵も入れた。大根の皮は別に漬けた。大根汁と飯をかっこむと、まるで昔の人のようだ。金持ちだから卵も入っている。ご飯と煮物をおかわりしたかったが、皮をポリポリする。ついでに期限が切れた妻のギリシア風ヨーグルトにイチゴジャムを入れて食べた。ヨーグルトはあまり好きじゃないなあ!