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2025-02-14

ホームページ宣言

コロナ禍における「デマの体験」は、10年代の嫌韓ブームや昔の左翼思想のように、人のスタイル(行動様式)に強い影響を与えた。
・デマ→釣られる→煽る
これが現在のネット民のスタイルである。
情報ソースの正しさは問われない。ソースは正誤ではなく是非が問われる、いわば論理ではなく感情による肯定か否定か、支持か不支持かなのである。
学問や論理、科学にたいする理解はゼロどころかマイナスだ。不勉強なのではなく、不誠実なのである。政治がそれらを道具として利用するのと同じように利用するだけだ。彼らは詐欺師である。
彼らの目的は釣り煽りである。酔うための酒は酔うのが目的だから味を問わない。つまりソースの確かさも正誤も全く問題にならない。騒げればいいのである。だから詭弁を好むし、平気で嘘をつく。自分が批判されても開きなおる。ムチャクチャなのだが、ネットではこれが通用するから、処世術になってしまっているのだ。
30年も前、がらくた工房の曽根さんはネットをオタクの生命維持装置といったが、今もあまり変わらない。一日中ネットでデマを撒き散らす異常者のことを「ネットオタク」と定義するとわかりやすい。 彼らの内訳は、どちらかといえば、デマに心酔する人は少数で、大半は「このビッグウェーブに乗るのが気持ちいい」という理由から自己洗脳を行なっていると考えたほうがいいだろう。
だから彼らは、
・嘘や詭弁による論破ごっこに興じて評論家ぶる気持ちよさと、
・それも実はわざとやっているから、論破ごっこで負けても「本当の負け」ではないと言い張る気持ちよさ、
という二重の気持ちよさに依存しているのである。
そしてこれは自己洗脳だから、いつしか自分のついた嘘が本当だと思い込むようになる。というより嘘か本当かは二の次で、目的は別のところにあるから、彼らはただデマを製造し続ける機械になっていく。そこには当然「人の心」もなければ、高度な抽象的思考もない。カルトのできあがりである。

こうした流れは、ネットのビジネスモデルや、極右的ポピュリズム、人間の悪性、社会の複雑さなどの要因から非常に強固になっており、これを民主主義的に早期に解決するのは絶望的である。僕はそうした背景から、SNSや5chに投稿することは異常者の養分にしかならない行為だと思い、もう一切やめているが、そうした認識をもっていたとしても誰もが僕のような「ネット世捨て人」になるのも難しいだろう。しかし当たり前に書いたり読んだりするだけですでに異常者の術中に陥るのが今の時代なのである。
それでも僕たちにできるのは、デマや釣り煽りとは隔絶した考えをもつことだ。徒手空拳(何ももたない)ではいけない。なぜなら、人はだまされやすいからだ。今、どれだけ多くの人が、科学的な無知や政治的な信念によって、物事を歪めて捉えているだろう? 僕は無知をせめているわけでもないし主義主張を認めないわけでもない。デマを流したり無知を恥じずにひらきなおるその態度が気にいらないというのだ。その末路は、人々の深刻な分断と、喩えではない現実的な社会の混沌化を招くだろう。

そんな感じで、僕はSNSをやめて、30年前のような「ホームページ」を作ることにしたわけだ。ここでのホームページとは、自分のウェブサイトの意であり、大手SNSやマスメディアにたいしてインディペンデント(独立)的であるということだ。
新自由主義の狂った億万長者や、釣りと煽りのプロレスに狂騒する極右主義やポピュリズム、ユーザーを飯の種としか考えないアルゴリズム、これらの肉屋を支持する家畜の社会と隔絶することで、今のネット時代の愚かさや危うさを明示的に批判したいのだ。
というのは孤立無援の、全くもって馬鹿げた戦い方ではあるが、これはまた、古き良きネット黎明期に少しばかり騒いだことのある僕にとっての、大衆化や現実化どころか異常化した現在のネットにたいする「意地」なのである。


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