必然性・トゥルース・分断 〜誰もが自由に発言できるディストピアへようこそ!
職場の困った人への対処法と称して、病気や障害のある人をトラブルメーカーに分類して、さらに動物に喩えているので、よく燃えているらしい。
著者は寮母をわずか半年で退職したそうだ。その仕事で、寮生が挨拶してくれない、ゴミ出しのルールやマナーがなっていないなどの強い不満をブログに書いていた。その体験の「恨み」が著書に反映されているのではないかという見解があった。
あと、反ワクの電波医者(内海)のファンらしく、まだ10代の娘さんにも読ませていたようだ。親が反ワクなのは本当に気の毒である。
反ワクだからどうこういうわけではないが、反ワク的な思想と親和性が高いことはうかがえる。ここでいう反ワク的なものとは、まさに病気や障害を科学ではなく通説やデマに書き換えながらも、それが科学に基づいているかのようにふるまう疑似科学的な方法である。
さらに反ワク的なものは、極右的な排外主義や差別とも結びつく。ここで厄介なのは、病気障害を排除しながら、それは差別ではないと主張し、正当化しようとするロジックである。
その排外主義を正当化する根拠になるのが、ディープステート(笑)というわけである。DSは左翼、左翼思想と置き換えられる。たとえば今回の場合も、DEI(多様性・公平性・包括性)的なもの=病気や障害のある人への「配慮」を「DS=左翼の陰謀」と置き換えている。DEIはDSの陰謀だから間違っているという理屈であり、本来は排除すべきものであると正当化するわけである。そしてこの理屈は疑いようがない、なぜならDS=左翼は悪だから悪だというわけである。
・DS=左翼は悪い
・DEIはDS=左翼の陰謀である
・したがってDEIは悪い
この誤謬だらけの理屈が、しかし、反ワクにとっては完璧な論法として成立しているのである。これには困った、話が通じない! 左翼嫌いの左翼?の僕も思わず苦笑いである。
僕らは完全に分断されている。というよりも分断が可視化されたのであり、この可視化によって加速度的に分断が深まっていくと見たほうがいいだろう。反ワク的な勢力の手法は「釣り煽り」で、SNSなどネットは「釣り堀」であるから、それを批判すればするほど根絶に近づくかというとそうではなく、単に炎上を広げるための燃料投下になってしまう。広がった火からまた新たな反ワクが生まれてくるからだ。
今回も「そのとおりだ、病気や障害は実際に迷惑だ」という投稿が生まれている。これは重い病気や障害を持たないマジョリティからだけではなく、当事者のマイノリティからも再生産されるから闇が深い。遠慮や、現実にたいするあきらめといった個人的な態度が、病気や障害のパブリックな議論をパーソナルのナラティブへと移していく。差別が正当化される社会では、差別に苦しむ側すらも、その差別構造を内面化してしまうのだ。家父長制に苦しめられた姑が嫁に同じように接したり、親の暴力に苦しめられた人が子を虐待するかのように。
(未完)