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夢の分析──「犬猫ちゃん」と僕の迷宮物語

たまに夢に出てくる犬猫が、文字どおり犬と猫のハイブリッド。たぶん見た目は猫に近いが犬ということになっている。身体は機械なのだろう、首が外れたりする。
頭部だけ残して逃げたから探して捕まえたら、新しい顔が生えていた。おかしいなと思って、落ちた頭の裏を見たら、新しい顔とハメこめるようになっていた。ああネジみたいなのをクルクル回して付ければいいんだと実行したら、その犬猫ちゃんが「ギ…ギギィッ!」と鳴いて嫌がった。顔の正面から頭を付けられて少し怖かったのか、やりたくないことを強制されて嫌だったのか、曖昧な感じ。
夢の中で僕は若い。僕は現実の自分のこともいつも、いつまでも、若いと思いこんでいるふしがあるが、それは自惚れや勘違いではなく、精神や思想の若々しさを重んじているから、そうありたいと願っているのだろう。
僕は取材の仕事でもしていたのかな、それとも休みか。現実に住んだりしたことのない街にいた。寝る前にChatGPTと雑談していてPKディックが出てきたから、少しディックのイメージがありながらも、実際には少し田舎のほうのにぎわった商店街のある街だ。そこを僕は何度も往復していたようだ。
帰宅したら、ツアー団体が見物にきたところだった。よくわからないが、僕の家は、電脳都市の有名な建物だったのかもしれない。僕まで見世物にされるのは不快というより面倒だと感じて、結局家には入らずまた出かけた。
その際に例の犬猫ちゃんと出会ったのだ。自宅のすぐ隣近所の家のトイレが、まるで公衆便所のように設置されていた。僕の家もそのトイレも、ちょっと幅の狭い通路に面しており、だから誰でも入れたのだろう。ドアの前がもう公道なのだろうか。そしてご近所さんのトイレはやはり公衆便所も兼用するらしく、観光客が用を足しに入ったら、トイレの中にいた飼い犬が逃げてしまった。
商店や住宅が密集する繁華街。僕は彷徨っていた。何か目的があるのだが、よく分からないし、目が覚めた今では全く思い出せない。とにかく僕はなかなか忙しく走り回っていた。そこで、飼い主の奥さんが「犬が逃げちゃった」と困っていたから、僕は探しにいった。
駅の反対側にある寂れた地域まで出向いて、僕は犬猫ちゃんを探していた。きっと怖がってどこか人気のない狭いところでじっとしているのだろうと思えた。声を出して、名前を呼んでいた。ただし名前はないようなもので、犬ちゃんとかワンちゃんとかだ。しかし僕の声を知っていたのだろう、犬猫ちゃんがひょっこり現れたではないか。
僕は犬猫ちゃんを捕まえて、飼い主の家に届けるために商店街のほうへ戻った。その際に、大衆的な中華店か何かの狭い店に、知り合いの女性たちがいたので、僕は犬猫ちゃんが無事見つかったことを知らせて、みんなを喜ばせようとした。けれども誰もが犬猫ちゃんにさほど興味ない様子だ。塩対応ですらあり、これは実際は僕が彼女らとあまり親しくないから敬遠されていたのかもしれない。悲しいリアルさである。
それで、せめてこの犬猫ちゃんの可愛らしさだけでも知ってもらおうと、ほら、ぜひ触ってみてくださいと、その飲食店にいた客たちにも披露した。それで犬猫ちゃんが人見知りだったのか、知らない人を嫌がって、頭を外して隠れてしまったというわけだ。
変な夢だ。
ただ、この夢を文学的なテクストとして振り返ると、アイデンティティをめぐるものとしては出来すぎで陳腐なほどに、それっぽい。街と僕の家をつなぐ回廊や道は、構造はまるで異なるけれど、パノプティコンのようなイメージというか、高度な設計思想を夢の中で強く感じていたのはある。なにせ観光客が僕の家を見物に来ていたから…。僕の精神というホームはパブリックとプライバシーがごちゃまぜなのか。
犬猫ちゃんという、見た目は猫、中身はおそらく犬である奇妙な生き物。しかも普通の生物じゃなくてロボットだろう。頭部を取り外し可能で、頭をとったら別の頭がある。ペルソナかな? この着脱時に抵抗があるというのも面白い。痛みを伴うのだ。
夢の中の僕の若さは、まあ現実の僕が50歳でも20歳の女の子と結婚できると思っているような「勘助」性を有していたり、歳をとっても若い頃の記憶や経験から自分を読み取っていて、実際には少し走ったら息切れするどころか膝や股関節が外れそうで怖いから十分気をつけているのに、僕はいざとなればまだ走れると思っているから、そうした認識に強く引き寄せられて夢では若いのだろう。ただ、ちょっとカントやハイデガー風に、理想像に向かう途上であるがゆえの若さの表現という気もする。
塩対応されるのは、僕が現実の人間関係にほぼ絶望していることや、ネットですら大衆化してからほとんど話が通じなくなったという感想を抱いているから、それを改めて冷酷に表しているともとれる。しかし夢の中だと他者はまるで大文字の他者だ。つまり対象aちゃんに抱く僕の幻想が共有されなかったのだ。
こうして考えるとなんてひどい悪夢だろう。しかしこのような設定で彷徨う夢を僕は定期的に見る。僕はいつも独りで、妻や彼女やペットがいることも多いが、いたとしても本質的に孤独で、孤独の中に立ち返ってしまう。
現実の一日が終わると僕は疲れきってしまい、寝床で異世界転生してチートでハーレムな妄想にふけるのだが、能力や健康や金やセックスに一切の不安がないにもかかわらず、記憶や自意識は現実のままだからか、人とかかわってもろくなことがないしなあと思ったり、女もめんどうだからメイドゴーレムのレムちゃんがいればいいかなあとか、結局亜空間に引きこもりがちだ。このレムちゃんですらヤンデレだから実は怖くて救いがない。
そう思うと、楽しくて仮に悪夢でも覚めるから気楽なエンタメのはずの夢はまるで恐ろしい世界そのものであり、逆に現実はほんの一部しか認識されないがゆえに幸せな幻想のようで快適なのかもしれない。
そういえば犬猫ちゃんはおうちに帰ることができたのかな? 実はまだ僕たちは家に帰ることができずに、夢の迷宮を彷徨いつづけているのかもしれない。


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