昭和の女、令和の男、ロマンの終わり
775 ふ ID:6imHdIGx0 昭和の女は良かったなあ、もうオバサンになっちゃったけど今でも 50代以上の人はセンスが良くて品がある 今の女を見るとガッカリ、ファッションも色気も人格も駄目
幸福度のスレでみんな文明論評論家ごっこしているのに昭和のオッサンが唐突に女の話してきてワロタ。でもこれ面白いよ。
投稿者の観念としての〈女性〉の定義はこう。
昭和の女=センス、品、ファッション、色気、人格がある(性的魅力がある)
令和の女=それらが失われた
これは昔はよかったというノスタルジーとはいいきれない。戦前戦後は性の解放の時代でもあった。同時に抑圧も強かった。この抑圧と解放の境界で〈女性〉の性的魅力がたちあがっていたからだ。
バトラーでいえば、要は行為が主体を作る。昭和の女を演じるから昭和の女になるのであって、ジェンダーは最初から存在していたわけではない。昭和のパフォーマティビティが令和のジェンダー平等で揺らいだ結果、昭和のおじさんのロマン(としてのジェンダー)は失われた。昭和の女は彼の妄想だった。
アルゴリズムが僕の見るものを管理し、僕の欲望にはクソリプが飛んでくる。そこにはもう本物の女性は存在しない。令和では女性がアルゴリズム化されたのだ。スリーサイズではなくエンゲージメントが魅力になる。男性にとって女性は永遠の謎といわれたが、この謎がなくなり、つまりロマンのメガネをかけて僕好みのジェンダーを投影する余地がなくなった。
男性の欲望はアルゴリズムをプリズムとして通して屈折し、無限に分解されていく。だから欲望のベクトルは生身の女性ではなくvtuberのような欲望の記号や、女叩きのナラティブに向かう。女叩きとは、もはや欲望が存在しないのに認めようとせず、虚空に欲望をピュッと放ち、その排泄物を地上へ落として人様に迷惑をかけるのを正当化することなのである。