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【覚醒】小泉大臣、ラカンを語る 〜進次郎構文で学ぶラカン思想(*学べません)

小泉進次郎っぽい人が壇上で語っている。ただし顔は絵文字

😃女性は存在しません。これ、意外と知られていないんですけど、ようするに象徴界における女性シニフィアンの不在のことなんです。
もっと言うとですね、性関係も存在しません。性関係が存在しないということは、性関係が存在していないということなんですね。これはどういうことかというと、言語的な象徴界において女性がいないから、私たちはその不在を妄想で埋めているだけなんです。セクシーではないからセクシーではないんです。
さらに言うとですね、父の名というのも、小泉純一郎のことじゃないんですよ。これは「法」や「禁止」のシニフィアンなんです。私も初めて読んだときは驚きでしたが、なぜなら、驚きというのは驚くことだからです。
言い換えればですね、象徴界=言語=社会のことで、私たちは父の名=象徴的な機能を得ることによって、母の欲望に依拠しないことが可能になり、そこでファルス=欲望のシニフィアンが社会的なものだと気づき、自他の欲望は象徴的な秩序の中で構造化されていることを理解する=象徴的去勢されることで、自分と他者の違いを知るようになるわけなんですね。
去勢=ファルスが絶対ではない=自分の欲望も他者の存在も絶対ではない=不完全であると知ることができるんです。これがラカンの考えなんですね。ということは、ラカンはこう考えたんです。
どうしてこのようによくわからないことを言っているのかというと、これは私なりの解釈ですが、言語化できないことを言語化しているからではないかと思えるんですね。
皆さんも私の発言をよくわからない進次郎構文だなんて楽しんでいただいておりますが、まさにそれがラカン的な楽しみではないでしょうか?
つまりですね、あなたが思う小泉進次郎がラカン的でもあり、ラカンを小泉進次郎的に読むことも可能だということなんですね。ようするにそれがあなた自身の構造なんです。


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