トップページへ戻る

タトゥーについて

・僕自身はタトゥーを性的表象くらいにしか捉えていない(女の子がしてたらエロくてかわいい)。その文化や思想には興味がない。
・タトゥーの善悪や是非を問うこと自体がナンセンス。なぜならすでに意味が過剰すぎて判断不能に陥った哲学的アポリアだから。
・つまり、タトゥーは実存的な選択である。(一応消せる?らしいが基本的には)不可逆な決断を体に刻むから、社会との摩擦も未来の自分との乖離も自ら選択する。これが「入れるかどうか、よく考えてから決めなさい」という「クソ適当なアドバイス」に血肉を入れるだろう。
・ゆえに、安易に入れると実際に不利益が生じる可能性があることを僕は知っているが、だからやめろというのもまたタトゥーの社会的な排除の構造に消極的に加担する行為であるという矛盾に陥るワケ。
・タトゥーは文化や規範の衝突。解決は、茶髪やピアスくらいの社会的逸脱の位置になることしかない。
・そんなことより、感染症の可能性などタトゥーの衛生面の法規を速やかに強化したほうがいいのでは。
・さらにそんなことより、現状では、安めの温泉とか大浴場とか行かなくていいのか僕はそっちの実益のほうが心配なのだが。温泉旅行、嫌いなのか? あんなにいいものはないが。
・僕の考えは以上なのだが、最近の世相はすぐに善悪を問うたり叩いたりしてバカバカしい。そうして無駄に叩くやつがいるから僕はちょっとタトゥー擁護寄りになった。つまり、タトゥーの逸脱と、ネットの誹謗中傷の逸脱を比べて、もはや叩くほうがはるかにひどい。定食屋の店員がタトゥー入れてるからって袋叩きにするのは、どっちが反社的なんだ? 「実存的で、社会規範からの逸脱」と、「規範の代行者としての逸脱」になってきたではないか。
・だからみんなで一斉にタトゥー入れたらいい気もする。反社からも俗物からもタトゥーのナラティブを奪う戦略や。タトゥーの脱構築やwww

日記にしようと思ったが、以下をこちらに追記する。↓

タトゥー記事なかなかよかったので紹介。かわいいにゃ(*´―`*)
https://nikkan-spa.jp/2093045
https://nikkan-spa.jp/2093359
記事をちゃんと読む前にスレでネタを知って、これはそろそろタトゥーについて書いておかないといけないなと思い、↓をアップしたわけだが、
https://ungura98.neocities.org/text/2025-05-25-01-On-Tattoos
偶然というかたまたまというか、僕とタトゥーを入れている人の考え方が、僕からするとだいたい同じように思えた。こういう思想性にも焦点をあてる記事もすばらしく、まだまだ世の中捨てたものではない。
さらに記事によれば、話題の彼女さんいわく、タトゥーは文化・芸術的な表現への純粋な憧れからの始まりであったわけだ。そして実存的な選択の責任をひきうけるように成長した。ネットのバズ・炎上にたいしては関与せず、それより仕事をしなくてはという。僕はこの3点に感動した。これが「生きるということ」なのではないか?
またこれもすばらしいが、お父様が子供の自主性を尊重していること。なかなかできることではないと思う。もし僕に娘がいたら僕は自分の妻や猫と同じように心配でたまらないから泣いてしまうかもしれない、つまりネットのようにクソリプをつけてしまうのだ。
だって、愛って難しいからね。


トップページへ戻る